変化や新しさを実証的に再定義する 切通理作 / 文化批評家・ネオ書房店主週刊読書人2022年1月7日号 アニメの輪郭 主題・作家・手法をめぐって著 者:藤津亮太出版社:青土社ISBN13:978-4-7917-7417-3 本書は、アニメ研究の第一人者である著者が、「アニメの輪郭」について考察をめぐらせ、ある程度の実証的な定義をなしたものである。 たとえば、日本のアニメはマンガを原作とすることが多いが、その意味合いは、時代によっても違う。原作マンガを企画の素材として自由に脚色していた時代から、原作をひとつの完成した世界として尊重し、出来るだけその印象から外れないようにアニメ化するという姿勢がとられる時代へと変遷していった。その背景には、テレビ業界とマンガ業界の力関係の変化があるとされる。 だが「原作通り」という言い方もまた曲者だ。基本的なストーリーは一緒でも、原作のエッセンスをアニメ用にまとめ直した「シナリオ」をもとに作るのと、漫画の決めポーズやギャグ、印象的なコマ割りなどを積極的に取り入れて映像化するのとでは、意味合いがまったく異なる。それを、たとえば『鋼の錬金術師』の二度の長期アニメ化作品を実証的に比較することで、浮き彫りにしていくのだ。 著者は出来上がった作品の研究のみならず、制作工程にも目を凝らす。イメージボードとコンテを分けず、一体化して取り組んだ故・今敏監督の選択は、なぜなされたのか。作業効率から逆算した、現実的な側面と併せ、踏み込んだ形で語られる。 押井守のような、これまで多くの論者によって語られてきた、いわばスター演出家に関しても、著者はある時期からのアニメ特有の技術である「透過光」の持つ意味と照応して語り、アニメにおける「光」とはなんなのか、根本的な問いに読者をいざなう。 また菅野よう子の仕事について書かれた章では、音楽家が演出家からの注文に応えるだけでなく、アニメ演出に対して、逆に提案していく現場の息吹が生き生きと伝わってくる。 アニメと言えば多くの人が、「絵」の魅力をその特質とするであろう。だが著者は、絵のみが特権化して語られることに異を唱える。視聴者は声優の「声」によって、作画が多少変わっても同じキャラクターとして認識するし、あるいは声優さえ変わったとしても認識することが出来るとしたら、アニメにおけるキャラクターの同一性確認とはいったいなんなのか、その秘密を切開していく。 そして近年、漫画のキャラクターに極力似せつつ、生身の俳優が演じる実写映画が珍しくなくなってきている。それを成功例と失敗例として単純に分けるのではなく、同じ作品の中で効果を発揮した部分、表現と内容が乖離してしまった部分に目を凝らし、読者の審美眼を育てていく。 キャラクターを生かすための背骨としての設定や、全体にわたって浸透させる「構成」の重要性、およびそれがアニメと実写ではどのように違って受け止められるのかということが、読んでいてどんどん明確になっていく。 CGやデジタル技術を取り入れることで、アニメと実写双方が大きく作り方を変えてきている。庵野秀明に対する継続的な考察も含め、その端境期の表現のありようも明確にしていく。 本書は、アニメや映画、漫画の読者が、その都度感じる変化や新しさをあらためて振り返り、再定義するものとして重要であり、本書の記述をもとに、さらに新しい時代の変化に対する考察の目を育んでくれる。映像文化時代の渦中にある、活字における指標的な一冊となっていよう。(きりどおし・りさく=文化批評家・ネオ書房店主)★ふじつ・りょうた=アニメ評論家・東京工芸大学非常勤講師。著書に『アニメ「評論家」宣言』『ぼくらがアニメを見る理由』『アニメと戦争』など。一九六八年生。