書評キャンパス―大学生がススメる本― 金子紗也 / 上智大学法学部法律学科4年 週刊読書人2022年3月25日号 春、戻る 著 者:瀬尾まいこ 出版社:集英社 ISBN13:978-4-08-745541-0 瀬尾まいこ氏は、いつもドキッとするような物語の書き出しで読者を魅了する。本作の最初の段落は、「生まれてから今日までの出来事をすべて覚えておくのは不可能だ」という一文で始まり、「だけど、自分についての基本情報ぐらいは覚えている。少なくとも、自分の家族構成はきちんと把握している。つもりだ」という言葉で締めくくられる。この短い一つの段落で、読者は一気に物語の世界に引き込まれる。「つもりだ」という4文字に読者が抱いた疑問は、すぐに解消される。結婚目前の主人公・さくらの前に、兄と名乗る青年が現れたのだ。だが、さくらには兄などいない。さらに、この青年の年齢はさくらより一回り下だった。読者もさくらも困惑させておきながら、マイペースに話を進めていくこの「おにいさん」は、どこか憎めない性格で、なぜか、さくらのことをよく知っていて、とても大切にしている。この「おにいさん」をはじめとして、結婚相手である山田さんや、実の妹のすみれなど、周りの人と関わりながら、さくらは忘れようとしていた過去と向き合っていく。 瀬尾氏は、家族を題材にした物語で、読者の心を浄化する天才でもある。瀬尾氏の作品を読み終わった後は、いつも、優しい気持ちで人と接したくなる。読了後、作品の余韻に浸りながら、お話全体や、印象に残った場面を思い返すと、瀬尾氏からの優しいメッセージが知らぬ間に自分の心に留まっていることに気付くのだ。 本作を読み終えた後の私に残ったメッセージは、自分自身に対しての肯定であった。特に、「思い描いたとおりに生きなくたっていい。つらいのなら他の道を進んだっていいんだ。自分が幸せだと感じられることが一番なんだから」という台詞がしばらく頭から離れなかった。本作中では、この言葉が引き金となり、フタがされていたはずの教師時代の記憶が、さくらの中に次々とあふれ出す。さくらは、忘れようとしていた過去の中にも、周りの人の優しさに救われた日々があったことを思い出し、結婚という大きな転機を前にして抱いていた、「これでよかったのかという気持ち」を消し去ることができたのだ。 私は、卒業を控える大学生で、4月からの新生活をどうするのかという大事な選択を終えたばかりだ。自分では納得して選んだつもりの進路だったが、この言葉と出会った瞬間、自分の大きな選択を肯定してもらえたような、安堵の気持ちで満たされた。自分の中に、自分では気付けなかったほど小さな悔いや不安があったのかもしれない、とそこで初めて気付いた。 人生は選択の連続だ、とよく聞く。自分の今までの全ての選択に100%自信がある人などいるのだろうか。自分が幸せになるための選択を肯定してくれる本書の先ほどの台詞は、大小様々な選択を乗り越えた大人にこそ響くのかもしれない。これからたくさんの選択を控える若い世代にも、今までたくさんの選択を乗り越えてきた年配の世代にも、きっと優しく寄り添ってくれる物語であると確信している。★かねこ・さや=上智大学法学部法律学科4年。現在、地方創生に関心を寄せている。大学卒業後は大学院に進学し、地方自治体に対する国の関与の在り方について研究予定。