――悲惨な状況や自責の念もつづる自伝――近藤正高 / ライター週刊読書人2020年8月7日号野垂れ死に ある講談社・雑誌編集者の回想著 者:元木昌彦出版社:現代書館ISBN13:978-4-7684-5878-5正直に言うと、本書を読むのは当初あまり気が進まなかった。それというのも、本書のもととなるウェブ連載で、ちょっと引っかかる一文があったからだ。それは著者が『フライデー』『週刊現代』の編集長時代によく仕事を依頼した、ジャーナリストの松田賢弥氏をとりあげた回だった。そこでは松田氏が数年前に二度目の脳梗塞を発症して倒れた事実が明かされ、生活保護で病院への支払いをすればカネは手元にほとんど残らないという悲惨な状況がつづられていた。私が引っかかったのは、そのあとに出てくる《可哀想だとは思うが、フリーのライターの末路はこんなもんだとも思う》という一文だ。これが同じフリーランスである自分には、どうも受け入れがたかった。 しかし、あらためて読めば、そこには続けて《何人ものライターたちのやりきれない死様を見てきた。何もしてやれない自分が情けなかった》と著者の自責の念がはっきり書かれていた。このくだり以外にも、本書を通して読むと、著者が、かつてよく一緒に仕事をした書き手たちが生活に困窮していると知るたび、できるかぎりの手を尽くしてきたことがわかる。それでも体を壊したあげく早世してしまった者も少なくない。本書は自伝という体裁をとりつつ、終章のタイトルにもあるとおり、そうした書き手などへの挽歌ともいうべき内容となっている。 著者は講談社に在職中、自分のことを一国一城の主とは言わないまでも業績のいい零細企業の社長ぐらいには思っていたという。週刊誌の編集長に就くと、先例を破ってかなり大胆なリニューアルも断行している。一九九〇年に異動した『フライデー』編集部ではまずタイトルロゴなど見た目から変えていき、さらには誌面も写真誌であることにとらわれずニュースと記事中心でいくと宣言、ライターたちを多数起用してフォト・ノンフィクションのページもつくった。続いて九二年に『週刊現代』に異動するにあたっては、社長から休刊するかどうかも含めて考えてほしいと命じられる。そのため、ベテランの連載を切って特集ページを増やすなど大ナタを振るった。さらにヘア・ヌード写真集ブームに乗じて、各写真集からカットを誌面に転載したところ、部数が伸びた。ちなみにヘア・ヌードとは著者の造語だとか。 こう書くといかにも華々しい経歴だが、社の幹部とは反目し、『週刊現代』編集長在任中には編集局長にまで昇進するも、その後、部員のいない新企画室長へと左遷された。定年を迎えたのも出向した関連会社の専務としてだった。それでも著者には転んでもただでは起きないところがある。左遷先でも、当時普及し始めたばかりだったインターネットによる週刊誌「Web現代」を開設する。いずれはネットを使って、世界各地からのニュース中継も考えていたというから先見の明がある。定年退職後には韓国発のネット市民ニュース「オーマイニュース」日本版の編集長、さらには半ば押しつけられる形で社長にも就任するのだが、運営資金は底をつこうとしていた。追加の融資も望めず、社員の全員解雇を決断するも、最後の一ヶ月の給料も出せるかどうかというありさまだった。そこへ会社の入るビルが道路建設のため明け渡すことになり、引越料としてかなりまとまった額が入り、どうにか救われる。若い頃に取材で会った萩本欽一からツキのもらい方を教わったという著者だが、そのおかげなのか、土壇場での悪運の強さに驚かされる。 本書を読むかぎり、心身ともに負担を抱えながら編集者生活を送ってきた著者が、七〇歳をすぎたいまなお健在なのもまた運なのだろうか。あとがきでは《無駄に永らえた人間がやるべきことは、自分が生きてきた時代の証言者になり、後の世代に〝何か〟を伝えていくことだろうと考え、この本を書き上げた》と執筆の意図を記している。本書には、書名にあるとおり野垂れ死に同然に亡くなった者もたびたび登場する。そんな彼らも著者が本に書くことで、生きた証しを残したといえる。そこに私は救いを感じた。(こんどう・まさたか=ライター) ★もとき・まさひこ=出版プロデューサー。講談社で雑誌「月刊現代」「婦人倶楽部」「週刊現代」「FRIDAY」などを編集。著書に『週刊誌は死なず』『「週刊現代」編集長戦記』など。一九四五年生。