――その言説のアーカイブ――五十嵐太郎 / 建築批評家・東北大学教授・建築史週刊読書人2020年4月17日号(3336号)長谷川逸子の思考【全4巻函入り特別付録付きセット】著 者:長谷川逸子出版社:左右社ISBN13:978-4-86528-228-3一昨年、久しぶりに長谷川逸子が設計した湘南台文化センター(一九九〇)を再訪した。箱型の公共施設とはまったく異なる様相を帯びた建築である。劇場やプラネタリウムなど、大小の球体をはじめとして、小さな家型をひたすら反復しつつ、人工的な森のような風景を生みだしているからだ。そう、全体としては建築というよりも、未来のランドスケープというべき場である。もっとも、外観はアルミニウムを多用しているように、やたらと緑化したデザインではなく、長谷川は「地形としての建築」、あるいは「第2の自然としての建築」と呼ぶ。安さばかりが求められる現代の公共施設とは違い、日本にお金があって、建築の造形が力をもっていた時代のデザインである。雨の日だったため、屋外にはあまり人がいなかったが、内部に足を踏み入れると、こども館がとても賑わっており、子供たちが空間を使い倒しているような活気にあふれていた。またその展示と装飾的な細部がマッチしていたのも興味深い。オープンしてから三〇年近くになるが、今なお、ここが積極的に使われていることを確認した。 これを手がけた建築家の論考、対談、作品解説、他者による批評などをまとめて収録したのが、全四巻の『長谷川逸子の思考』である。もちろん、これまで彼女の作品集は刊行されていたが、ここまでテキストを中心とした大著は出版されていない。各巻の最後にとりあげた作品の写真や図面をまとめて掲載しているが、基本的には読み物としての本であり、いわば長谷川逸子をめぐる言説のアーカイブだ。彼女は、安藤忠雄や伊東豊雄と同じく、一九四一年生まれであり、槇文彦から国家を背負わず、主をもたない「野武士」の世代と命名された建築家である。彼らは一九七〇年代にデビューし、当初は幾何学が強いフォルマリスティックな住宅を設計していたが、八〇年代の後半から公共施設、その後、海外の仕事も手がけるようになった。この本に収録された野武士の建築家、石井和絋の文章「世代的方法の昇華のマイルストーン」(一九八九)では、湘南台文化センターについて「ああ、この建築が私たちの世代の最初のまとまった実現なのだ、と気づき、感慨をもって去りがたく広場に佇んだ」と記している。 石井が証言するように、長谷川がコンペに勝利して実現した湘南台文化センターは同世代にとって、いち早く登場した画期的な公共施設だった。『長谷川逸子の思考』の四巻は、現代から過去に遡る構成になっており、第1部が新潟りゅーとぴあ(一九九八)などの「アーキペラゴ・システム」、第2部がすみだ生涯学習センター(一九九四)や山梨フルーツミュージアム(一九九五)のほか、集合住宅、第3部が湘南台文化センターや眉山ホール(一九八四)など、第4部が初期の住宅作品を扱う。ゆえに、それぞれのプロジェクトの背景で、彼女がどのように考えていたかを深く理解できる内容になっている。例えば、第3部では、湘南台文化センターにおいて、積極的にガランドウ(固有の質をもちながら、長く持続するおおらかな空間)をつくったこと、かつてこのエリアにあった丘や野原を再生するという考え方、公共建築を地域に寄り添うものにしたかったこと、そして現代ではめずらしくなくなったが、当時は先駆的な試みだった市民参加のワークショップなどに触れている。 第1部と第2部の巻頭にある文章、すなわち第一回ロイヤルアカデミー賞の受賞の挨拶「持続するプレイスをつくること」(二〇一八)と、海外の書籍のために執筆された「建築設計の原点」(二〇一六)は、日本語としては初めて発表されるものだが、いずれも長谷川の思考がどのように形成されたかを簡潔に説明している。特に興味深いのは、彼女が日本各地の民家探訪を行い、「中心にどんなものでも包含できる「空」を保つこと」を発見したことに加え、メタボリズムの菊竹清訓と東京工業大学の篠原一男という二人の巨匠に師事したことだ。つまり、菊竹の代表作スカイハウスが「空間は機能を捨てる」ことによって、自由な空間を獲得したことを学び、民家に対する考察や篠原との関わりから、シンプルでありながら多様なものを発生させ受容する「はらっぱ」空間にたどりついたという。そして二人の建築家から「今日を生きる私たちにとっての新しい自然としての場を出現させること」を見出した。 かといって、そのまま師匠の受け売りをしたわけではない。本書を読むと、疑問や違和感も大きな意味をもち、反面教師にしていたことがよくわかる。菊竹事務所では、インテリア、家具、サイン、照明からイメージ・スケッチまで、様々な仕事を担当したが、現場は危険だから女性が行くところではないと言われ、あまり近寄れなかったという。長谷川は、実際にどう使われているかを知りたかったという思いがあり、それが独立してから「持続のために私はコミュニケーションを通して建築を立ち上げる手法を導入して、クライアントと、時には生き方についてまでたくさん話をする」ことにつながったのだろう。医者の施主から、インフォームド・コンセントの考え方を教えてもらったことも、設計の手法に影響を与えたという。一連の公共建築でも、どう使うのかというプログラムのレベルに関与し、ワークショップに発展していく。市民の意見を入れると、デザインが弱くなると思われがちだが、建築としての形式性の強度を維持しながら、話をつきつめることで、市民に愛されるという両立に成功している。 また東工大の篠原研では、「建築は知的構築物であり、まさに厳密な理論的哲学的理性を扱うこと、そして工学として社会的構造の中で成立している」という洗礼を浴びた。それまで本人はあまり気にしていなかったが、男性原理としての建築を思い知らされ、逆に「私は、周縁の、しかも主観的にしか語りえない私的な部分にしかリアリティを持つことができなかった」という。ジェンダー的な視点について、こう述べる。「女たちも男たちも女性的男性的という二面性のはざまで生きているのだと思う。これまでの建築を男性的なるものとするなら、私が思考する女性的なるものとはこの二面性をたずさえたものに他ならない」。また、これまでの建築は女性や子供、変わり者、マイナーな人たちを排除しようとしてきたが、「建築の構造のその多様な生成を支えているのがそうしたマイナーなひとたちである」、と。ここから多くの人を包み込む、長谷川のインクルーシブな建築が誕生した。これは新型コロナ・ウイルスの影響によって、社会の分断がさらに加速する現在、改めて考えるべき重要なテーマだろう。(いがらし・たろう=建築批評家・東北大学教授・建築史) ★はせがわ・いつこ=建築家。長谷川逸子・建築計画工房主宰。 『長谷川逸子の思考』各2700円 第一巻「アーキペラゴ・システム 新潟りゅーとぴあ(1993-2016)」 第二巻「はらっぱの建築 持続する豊かさを求めて(1993-2016)」 第三巻「第2の自然 湘南台文化センターという出来事(1985-1992)」 第四巻「ガランドウ・生活の装置 初期住宅論・都市論集(1972-1984)」