――次々繰り出される大胆不敵な新規解釈、入門また発展的研究としても傑出――中村三春 / 北海道大学教授・日本近代文学週刊読書人2020年11月6日号有島武郎 地人論の最果てへ著 者:荒木優太出版社:岩波書店ISBN13:978-4-00-431849-1 有島武郎は作家となる以前の明治三七年に、留学先のアメリカ、ペンシルヴァニア州ハヴァフォード大学に修士論文「日本文明の発展―神話時代から徳川幕府の滅亡まで」を提出した。この論文において特徴的なのは、文明を自然環境や地理的な条件に依存するものとしてとらえる観点であり、その見方は有島の先輩で兄事していた内村鑑三の『地人論』の発想と重なる。またこの論文に引用されたアーノルド・ギヨーの地理学書『地球と人間』は、内村の著作にも影響を及ぼしていた。さらにロンドン亡命中に有島が訪ねたクロポトキンも地理学者であり、有島も学んだそのアナーキズム思想にも地理学的体験が活かされていた。本書はこれらのことを掘り起こして大枠とし、研究史上、未踏の領域であった地人論の思考方法が、有島の作品と思想において、いかに大きな位置を占めていたかを執拗に追跡した初めての論著である。 たとえば、漁師・画家の精神的な苦悩を描く『生れ出づる悩み』は、北国の自然と環境との繫がりにおいて語られる。アメリカ留学時代の体験に基づく部分のある『迷路』においては、人種主義に対抗して混血になることで血・地の軛を越えることができるとする希望が示唆される。だからこそ主人公は不倫相手のアメリカ人女性との間に混血児を求めたのであり、これは大地と人間の法則を対照と統一に求めたギヨーの思想の発展・変容としても理解できるという。以後、『カインの末裔』『或る女』『星座』など著名作品の外、『潮霧』『老船長の幻覚』『運命の訴へ』『断橋』『或る施療患者』といった一般には馴染みの少ない作品も対象とし、地人論を中心とした交通の結節点として逐一分析・批評が行われる過程は読み応えがある。 また、もう一つ重点を置いて論じられるのは、有島の評論「美術鑑賞の方法に就て」を契機として本間久雄との間に戦わされた美術作品の展示と鑑賞をめぐる論争など、思想的営為に対する考察である。芸術における環境を、有島はこの論争中にフランス語でミリウと呼んだ。ミリウと芸術との結合を不可欠と見る有島は、芸術作品は本国にとどめ置かねばならず、外国に輸出してはならないと主張する。これに対して本間は「芸術鑑賞の悦び」などで、芸術作品は単体で価値を持ち、それ自体がコスモポリタニズム的に世界に参入できると反論した。この論争から本書は、有島がミリウと個性の一体化した「堅い殻」によって守られた過去の芸術を尊重するとともに、やがて世界全体が一つのミリウとなり、そこで個性が活躍しうる未来を見つめていたことに着目する。それはグローバル化した現代を予見するような未来像であった。ミリウと個性との関係は、このようにして現代的な課題と見なされる。その他、岩野泡鳴・中村星湖・橋浦泰雄・三木清らと、有島がどのように切り結んだかを本書は追究している。 北と南の「二つの血」に生まれ、札幌農学校に学び、キリスト教と確執し、「宣言一つ」を書いて自己批判を行った有島の生涯を緩やかに追いながら、地人論の思想とその系譜の中で新たな解釈を施した本書は、有島文芸の入門としても、また発展的研究としても傑出したものと言えるだろう。それとともに、『或る女』の葉子が船の中で煙草を覚えたとする記述を、細長いものが出入りする性的な隠喩と見たり、『或る施療患者』の海と空の表現と、主人公の盗んだ「青い鉛筆」との間に、色による連想を働かせ、逃避願望を読み取るなど、次々と繰り出される新規な解釈もまた大胆不敵で実におもしろい。(なかむら・みはる=北海道大学教授・日本近代文学)★あらき・ゆうた=在野研究者。専門は有島武郎。「反偶然の共生空間愛と正義のジョン・ロールズ」で第五九回群像新人評論賞優秀作受賞。著書に『これからのエリック・ホッファーのために』『仮説的偶然文学論』『無責任の新体系』など。現在本紙で「文芸時評」担当。一九八七年生。