――光る加藤のインタビューと写真群――伊高浩昭 / ジャーナリスト週刊読書人2020年6月5日号(3342号)陶工の本著 者:バーナード・リーチ出版社:河出書房新社ISBN13:978-4309256528世界的に有名な英国人陶芸家バーナード・リーチ(1887~1979)の著書『陶工の本』(1940)は「陶工の聖書」の聞こえが高い。ジャーナリストで翻訳家の石川欣一(1895~1959)の訳で1955年に中央公論社から出版されたこの名著が65年ぶりに復刻された。併せて、在英生活が半世紀近く、晩年のリーチにインタビューした加藤節雄の新著『バーナード・リーチとリーチ工房の100年』が刊行された。 日本滞在を終えたリーチが1920年に英国南西端コーンウォール半島海浜のセントアイヴスに工房を開いてから100年。加藤は長年の取材の蘊蓄を傾けて、現地の気候風土や文化を背景に、リーチの人生やリーチ死後現在までの工房の変遷を語り、リーチ会見記を掲げる。これら両書の同時刊行は河出書房新社の英断と言うべきだろう。 香港に生まれ10歳で英国に行くまで日本、香港、シンガポールに暮らしたリーチは芸術家を志し、20代初めの1909年来日、一時期の中国滞在期を含め陶芸を学ぶ。生涯の友、柳宗悦(1889~1961)と出会い、「白樺派」や民藝運動の活動に参加した。リーチは著書の序文に「この本は極東と英国で33年間、陶器を手で作った経験から生まれた」と前置きし、「私は(東洋と西洋の)二元的な経験から、陶器が(他の芸術分野と同じように)認められる一つの規範を立てようと試みた」と、執筆目的を明記している。 民芸論の件くだりでは、「本当に美しい物は、しばしば単純で控え目だ。美と謙虚は互いに境を接している。民衆の芸術で人の心を打つのは、貧困の高貴を伴う美である。日本人はこの理想の美を表現する〈渋い〉という特別な言葉を持つ」と、柳宗悦の言説を引用する。この「民芸清貧論」と呼ぶべきものは文章論としても通用すると評者は思う。「中国に生まれ英国で教育を受けた私は文化の二つの極端を持っており、東洋と西洋の総合が最も進んでいる日本に私を立ち戻らせた、。日本で地球の端と端の要素を一つに結びつける希望に向かって進むことを学び、これが来るべき時代の芸術に形を与えつつある。陶磁器の分野だけでも、我々がどれほど東洋に借りがあるか。私は東洋にも西洋にも応用される精神と水準を捕えようと努める」と、「東西の邂逅」を謳う。柳宗悦も序文に「リーチの作品の特性は東と西の結合にある」と記している。 一方、リーチ死後に一旦閉じられた工房の再建運動にも参加した経験を持つ加藤は1978年10月、既に失明していた死の前年のリーチをセントアイヴスの自宅に訪ね、会見した。饒舌だったというリーチは、「私や濱田(庄司、1894~1978)、柳が闘ってきたのは、機械文明の時代における手作りの再評価ということだった。機械と同時に、血の通った手作りを評価するのは大事だ」と持論を展開。「私は東洋と西洋は正反対だと思っている。音楽に協和音と不協和音があるように、正反対のものを合わせれば素晴らしいものになる。お互いが理解し認め合い協力し合う。そのことを西洋と東洋の結婚と言っている」と強調した。「(リーチが)陶芸家であるより哲学者であるような錯覚に陥った」と加藤は述懐する。このインタビューは圧巻。リーチの最晩年の発言としても重要だ。リーチの風貌をはじめ、全編にちりばめられた写真も素晴らしい。 両書を併せ読むのをお勧めしたい。ぎらぎらした経済グローバル化や、全地球的に猛威を振るう「COVID19」が世界史を止めてしまった現代に、両書は「東西の融合」という明治以降の往いにし時代から繰り広げられてきた文明論や芸術論の芳しい香りを、偉大な陶芸家の作風とともにたっぷりと味わわせてくれる。(『陶工の本』石川欣一訳)(いだか・ひろあき=ジャーナリスト) ★バーナード・リーチ=イギリス人の陶芸家。1911年に六代目尾形乾山に入門し、日本での作陶を始めた。著書に『日本総日記』『東と西を超えて 自伝的回想』など。★かとう・せつお=フォトジャーナリスト。ロンドン日本クラブ理事。同クラブ会報『びっぐべん』編集長。著書に『大人のロンドン散歩』など多数。