――クールな監督がうちに秘めた生々しい記録――高鳥都 / ライター週刊読書人2020年9月4日号映画の匠 野村芳太郎著 者:野村芳太郎(著)/小林淳(編)出版社:ワイズ出版ISBN13:978-4-89830-334-4 松竹百周年にふさわしい本が出た。松本清張原作の『砂の器』や『張込み』をはじめ松竹で八十八本の作品を手がけた映画監督・野村芳太郎の大著である。本来は生誕百年に合わせて昨年刊行される予定だったというが、なるほど、ほとんど松竹と同い年の一蓮托生なのか。 松竹を代表する監督でありながら、これまで野村芳太郎に特化した一冊は存在しない。コメディ、サスペンス、アクション、メロドラマ――あまたのジャンルを撮ってきた映画職人すなわち〝匠〟であり、本人も認める「つかみどころのなさ」が一因だろう。大島渚や山田洋次の作家性に比べると扱いづらい。 もちろん清張映画を中心に野村芳太郎を論じた書籍はいくつもあり、『キャメラを振り回した男 撮影監督・川又昻の仕事』という野村組の要であるスタッフの評伝が発表されるなど、周りは充実していた。いまも『八つ墓村』『震える舌』『鬼畜』とトラウマ級の作品が語り継がれ、渥美清の戦争喜劇『拝啓天皇陛下様』やドキュメンタリータッチの犯罪映画『東京湾』も再評価を集めている。 かくして、やっと世に出た、まるごと野村芳太郎の本――「野村さん、わが師」という山田洋次の寄稿から始まり、目玉は第二章の全映画作品発言集だ。没後に発見されたという膨大な回想録を整理、再編したものであり、クールな監督がうちに秘めた一作ごとの生々しい記録が残されている。 城戸四郎社長やプロデューサーとのせめぎ合い、撮影現場のエピソード、ときにスタッフ・キャストへの辛辣な評もありながら、若手から中堅、ついに〝会社〟を支える監督へ。ひとつの企画がどのようにして生まれ、成立(または挫折)するか――企業内映画の量産体制と集団作業が矢継ぎ早に迫りくる。 作品ごとに言及されているのが「批評と興行」だ。完成後、評論家や映画記者はどう受け取ったか、果たして大衆に受け入れられたか。読むにつれ監督、プロデューサーを越えて経営陣のような視座となる。「本社の幹部候補に」との声もあったという野村芳太郎は、生まれながらに松竹との関わりを持っていた。 父・野村芳亭も映画監督であり、撮影所長として松竹の土台を築いた人物。同じ道を選んだ〝坊っちゃま〟は、ビルマの戦場で死屍累々の地獄を見たのち「日本一の助監督」と評された下積み時代を経てデビュー、松竹大船調喜劇の新たな担い手に。その軌跡は、編者・小林淳による第一章の評伝に詳しい。 映画音楽の研究家である小林は、『八つ墓村』や『鬼畜』の組曲が演奏されたコンサートで野村家の長男(元松竹のプロデューサー・野村芳樹)と知り合い、残された回想録を知る――意外や、音楽がきっかけという奇縁におどろく。それからの調査・執筆は、さながら清張映画の地道な刑事を連想してしまう。 一九八五年公開の『危険な女たち』を最後に野村芳太郎の監督作は途絶えるが、〝幻の企画〟はいくつもあった。松本清張と霧プロダクションを設立して挑んだ「黒地の絵」、カメラテストまで行った時代劇「柳橋物語」、ビルマでの戦争体験をもとにした「遠く熱い道」――代表作『砂の器』も製作中止の憂き目から十数年を経て、脚本家・橋本忍との連携により復活させた〝捨て身〟の企画であった。だが、『砂の器』『八つ墓村』の大ヒットがありながら七〇年代後半からの筆致は自他ともに厳しく、低迷を続けた邦画産業のいち断面をさらけ出す。 対談やエッセイの再録、表紙に映える『五瓣の椿』の(そして『鬼畜』の、『疑惑』の、『影の車』の)岩下志麻ほかインタビューも充実。野村芳樹は映画作りだけでなく、釣り、模型、パチンコと〝オヤジさん〟の素顔を明かす。「あらゆる角度から野村芳太郎の仕事を一望できる」という記述に文句なしの一冊だが、惜しいノイズがひとつ。東宝が東洋、長尾啓司が長尾敬司になっているほか誤字脱字が散見されるのだ。嵯峨美智子と瑳峨三智子の混在やテレビドラマ版『ゼロの焦点』のクレジットなど、データの取り扱いも粗い。 こうした校正の甘さは本書に限らず近年の映画をめぐる出版物に目立つが、せっかくの大著だけに詰めの作業をおろそかにしてほしくなかったという思いとともに、無論これは類似のミスを犯してきた評者自身への戒めである。 印刷されて初めて気づく誤り――まるで野村芳太郎の映画のごとくゾッとする瞬間だ。(たかとり・みやこ=ライター)★のむら・よしたろう(一九一九~二〇〇五年)=映画監督。一九四一年、松竹大船撮影所に入社。終戦後復職。黒澤明、川島雄三らの助監督を経て、一九五二年、『鳩』で監督昇進。以後一九八五年『危険な女たち』まで、生涯八十八本の映画作品を発表し続けた。★こばやし・あつし=映画関連著述家。著書に『伊福部昭と戦後日本映画』『日本映画音楽の巨星たち』『伊福部昭の映画音楽』『伊福部昭 音楽と映像の交響(上・下)』『ゴジラの音楽 伊福部昭、佐藤勝、宮内國郎、眞鍋理一郎の響きとその時代』など。一九五八年生。