――二十世紀の負の歴史を繰り返させないために何が必要か――斎藤佑史 / 東洋大学名誉教授・ドイツ文学週刊読書人2020年7月10日号(3347号)独裁者が変えた世界史 上著 者:オリヴィエ・ゲズ出版社:原書房ISBN13:978-4-562-05749-8二十世紀の独裁者と言えば、ヒトラーやスターリンの顔がすぐに思い浮かぶが、それは彼らが大量虐殺や大粛清など近現代の歴史で例を見ないような残酷な行為者として名を馳せて来たからに他ならない。だが二十世紀を振り返れば、独裁者はこの二人に限らない。他に実に多くの様々な独裁者たちが世界各地に現れた。本書は、それら二十世紀に登場して様々な形で歴史を動かした独裁者たちを取り上げて紹介し、編者オリヴィエ・ゲズの言葉を借りれば、「権力をにぎった独裁者のあり方を解剖」したものである。解剖された独裁者たちは、レーニンに始まりアサドに至る総勢二十五人、解剖した執筆者は二十二名の、いずれもフランスの各分野の第一人者の歴史研究者、著述家、ジャーナリストなどである。 二十世紀は、戦争と革命の時代と言われ、全世界を巻き込んだ二度の世界大戦、世界の枠組みを変える源になったロシア革命が起こるなど、激動の世紀であった。本書で取り上げられた独裁者たちは、まさにこの戦争と革命に深く関わり、影響の差はあれ、様々に歴史を動かしてきた人たちである。地域別に見ると、ヨーロッパ九人、アジア六人、中南米四人、中東四人、アフリカ二人である。これらの中で、一番多いのはレーニンを始めとする共産主義に関わる独裁者で、それはヨーロッパだけでなく、アジア、中南米、アフリカに及び、共産主義、社会主義が二十世紀にいかに大きな影響を広く世界に及ぼしたかを物語る。それは二十世紀前半のロシア発の共産主義がヨーロッパ各国に影響を与え、第二次世界大戦後の世紀の後半に生じた東西冷戦の状況の中で、その波が世界の発展途上国に及んだ結果である。だが独裁者はむろん共産主義者だけではなく、イタリアのファシズム、ドイツのナチズムに代表される全体主義の独裁者、つまりムッソリーニ、ヒトラーがおり、独裁者としてのインパクトはこちらの方が、一般的には強いのでなかろうか。それはともかく、アジアの独裁者として毛沢東が取り上げられるのは当然としても、気になるのは、東条英機が日本の独裁者として取り上げられていることである。ただし、副題に「独裁者? それともスケープゴート?」とあるように、 独裁者と言っても疑問符がついていて彼は他の独裁者とはニュアンスが違い、当時の日本固有の歴史的状況、つまり天皇との関係が戦争責任の有無の問題と絡めて紹介・分析されている点が注目される。一口に独裁者と言っても、そのありようは様々で、殺人を言わば統治手段とした残忍なヒトラーやスターリンなどと東条英機を同列視して語ることができない面があるというわけである。本書はその独裁者たち一人一人のありようの違いをそれぞれの歴史的背景を踏まえて明確化しようとする点に大きな狙いがあると言ってもよい。とは言え、もちろん、独裁者としての共通点を同時に明示することも本書の重要な役割である。その意味では、表面的にせよ、独裁者は全員が男で、多くの場合背が低いという編者の指摘はわかりやすくて面白い。むろん独裁者誕生の本質はそこにあるのではなく、文明が未発達な封建時代ならいざ知らず、文明化が急速に進み、人間が進化したはずの二十世紀になぜかくも多数の独裁者が輩出したのかという点にある。 編者によれば、「二十世紀は独裁の世紀」ともされ、戦争と革命の時代という危機の時代に次々と独裁者が現れ、時代を動かしてきた。そこに共通して見られるのは、危機を解決するために強弱の差はあれ、最終的には殺人、暴力を厭わない彼らの残忍な姿勢である。そのために人間が長い歴史の中で多くの犠牲を払って獲得してきた民主主義の制度が踏み砕かれ、人びとは恐怖政治に支配された。だが恐怖を与えた独裁者も、多くの場合長続きせず、その最期は悲惨な結末を迎えることになる。二代目、三代目を除く独裁者の多くは、恵まれない家庭環境に生まれ、幼少年期に不幸な体験をし、社会に出ても挫折し、社会に対して何らかの強いルサンチマンを抱き、逆にそれをバネにして権力の階段を上り詰め、独裁者となるに至った。本書に描かれた独裁者たちの肖像から多く浮き彫りにされるのはこうした姿だが、さらに見えてくるのは、彼らが独占した権力の恐ろしさ、一度味わったら手放すことができなくなる麻薬のような権力の味である。本書の登場人物たちは多くの場合まさにその魔力に憑りつかれて破滅した男たちである。その内二人(金正恩・アサド)はまだ健在であり、今世紀になっても独裁者がいなくなったわけではない。それどころか、先が見えない二十一世紀を迎えて、不安と危機の中、新たな独裁者が生まれてこないとも限らない。歴史は繰り返されると言うが、二十世紀の負の歴史を繰り返させないために何が必要かということを考えるためにも、本書は啓蒙的な意味で色々と学ぶべき点が多い本である。(神田順子/清水珠代/松尾真奈美/濱田英作/田辺希久子/村上尚子訳)(さいとう・ゆうし=東洋大学名誉教授・ドイツ文学) ★オリヴィエ・ゲズ=歴史研究者・著述家・ジャーナリスト。著書に『ヨーゼフ・メンゲレの失踪』(ルノドー賞)など。