――わたしたちの「糸ひき歌」はどのように唄われているか――木村涼子 / 大阪大学人間科学部教授・ジェンダーと教育研究・近代日本のジェンダーに関する歴史社会学週刊読書人2020年6月5日号(3342号)『女工哀史』を再考する 失われた女性の声を求めて著 者:サンドラシャール出版社:京都大学学術出版会ISBN13:978-4814002313二〇世紀アメリカ・フォークソングの象徴的存在であり、ボブ・ディランなど多くのアーティストに多大な影響を与えたことで知られる、ウディ・ガスリーは、筋金入りのアクティビストでもあった。生涯をとおして「労働者階級の声」を広く届けるために数多くのプロテスト・ソングを労働組合や社会主義運動に提供している。本書では彼の言葉が、「歌われる記憶」として労働歌がもつ意義を説明するために、実に印象的な形で二箇所(六〇-六一頁、六九頁)にわたって引用されている。にも関わらず著者は、労働運動の「宣伝活動、ストライキなどの際に利用され」(一〇一頁)た労働歌に対する否定的な見解(一三七頁など)をあらわにする。後述するように、そのことに評者は違和感を禁じ得ない。とはいえ、「女工哀史」言説を再考するという問題設定には興味を引かれたし、その問いを解き明かすために実証的な努力を積み重ねた労作としてまことに読み応えのあるものだった。 本書は「女工哀史」言説再考のために、前半で「糸ひき歌」の歌詞分析、後半でかつて製糸女工であった女性への聞き取り調査と、二つの実証研究を展開している。まず、山本茂実や宮内仁らによって収集されていたものの、客観的な分析をほどこされてこなかった「糸ひき歌」群の歌詞を堅実かつ繊細な手ぎわによって分析する。次に、多くの高齢女性たちの聞き取り調査から得た貴重な「声」をとおして、女工の生活や意識を浮き彫りにしている。 ただ、疑問に感じたのは、分析された「糸引き歌」が唄われた時期(主に明治期)と、聞き取り調査の語り手が工場就労した時期(大半は昭和期)にずれがあり、全体の構成が「女工哀史」的視点の再検討という目的にかなっているのかという点である。実際、聞き取り調査の語り手の多くが、「糸ひき歌」など知らない、「女工哀史」は「一昔前のこと」だと答えている。女工の生活が「哀しい」ばかりではなかったということは、「糸ひき歌」でも聞き取り調査でもさまざまに確認されているだけに、「糸ひき歌」・聞き取りによる女工の自身の「声」・「女工哀史」言説の三者のリンクが説得的に論じられていたら、と残念だ。 本書を読んでさらなる発展を期待した論点は、労働の場における「集団的自己認識」の話である。「糸ひき歌」はそもそも共同作業の場で手作業をしていた時代に生まれたものであり、そこで集団的な自己認識が紡ぎ出されていたのではないかと著者は指摘している。だが、工場で大型機械が耳をつんざく騒音を立てる労働環境になってからは、声を合わせて作業リズムをつくる労働歌の生き残る余地はなかったという。この「糸ひき歌」の消滅自体に、例えばいわゆる「労働疎外」など、重要な意味がありはしないだろうか。かつて「糸ひき歌」の唄い手も聞き手も女性自身であり、唄うことは自己認識を共同体の中でつくり上げ確かめる手段であった。その手段が働く場から奪われるのは、近代的な労働過程の特徴といえよう。 本書では分析から外されたが、労働争議の場での労働歌を、従来の「糸ひき歌」の派生として考え、労働運動の進展によって「集団的自己認識」が変化するプロセスをとらえる分析が含まれていたら興味深い議論になったと思われる。運動を通じて多くの女工が自己認識および集団認識を再帰的に形成しているはずである(それによってさらなる「疎外」状況に陥った場合も少なくないだろう)。「女工哀史」言説が労働運動と結びついて生まれたものだからこそ、それを無視して「女工哀史」言説の功罪を問うことはむずかしい。 戦後になっても、製糸・紡績工場で働く女性たちが労働条件改善のために生活をかけて闘っていたことは、近江絹糸の大争議の例にも明らかだ。戦前から女工は多くの労働争議を担った。彼女たちが参加した労働運動をマルクス主義者に扇動されたものだと片付け、運動が関わらない文脈にこそ労働者の真実の姿があるとする見方は、女性労働史の脱政治化ではないだろうか。それが冒頭で述べた違和感をつきつめた場合の懸念である。 とはいえ、労働運動を特権視することには、評者も賛同しない。働く場から「糸ひき歌」が奪われた時、いかに女性たちは「女工」としての自己や「女工」なるもののイメージを構築し、同一化(/非同一化)していったのか。組合オルグのような外からの働きかけ以外に、女性労働者が文字や身体性を用いて自然発生的に自分たちで生み出した手段はなかったのか。そういう視点から、聞き取り調査の分析を深めると、「糸ひき歌」の分析結果をひきつぐ興味深い発見があったのではないかと思われる。 本書の意義は、戦前の工場で機械の轟音にかき消された女工達の声を、時空を超えて聞き取ろうとしたことにある。これは、歴史上のことで終わらない。現代社会の「労働(アンペイドワークを含めて)の場」において、わたしたちの「糸ひき歌」はどのように唄われているのか、という問いにつながっていく。(きむら・りょうこ=大阪大学人間科学部教授・ジェンダーと教育研究・近代日本のジェンダーに関する歴史社会学) ★サンドラ・シャール=ストラスブール大学(フランス)言語学部准教授・京都大学大学院文学研究科特任教授。