――闘わざるをしては生きられなかった女性の生涯――小山内園子 / 翻訳者週刊読書人2020年12月11日号滞空女 屋根の上のモダンガール著 者:パク・ソリョン出版社:三一書房ISBN13:978-4-380-20005-2 理不尽なことは多い。いや、理不尽だの道理にかなっていないだの、そんな言葉では手ぬるいと思えるくらい、モラルの底が抜けたと感じる出来事は多い。あまりにそういうことがありすぎると、自分が信じる「正しさ」に自信が持てなくなる。そしてすすんで大多数の声を受け入れたりもする。そういう「世間」で「ご時世」なら、一人で抗ったところで仕方ない、と。 小説『滞空女』の主人公であり、韓国初の高空籠城を行った姜周龍(カン・ジュリョン)の人生もはじめはそうだった。「高空籠城」を簡単に言えば、誰もが危ういと感じる高所に上って要求を掲げ、妥協点が見いだせるまで降りてこないという戦術だ。要求を貫くため、労働者は命の危険に加え食事、排泄などのもろもろを犠牲にする。二〇一一年、韓国で職場の整理解雇に反対し高さ三十五メートルのクレーンに三〇〇日以上高空籠城した女性の姿は記憶に新しい。本作も、著者がそのニュースで高空籠城の先駆者・姜周龍の存在を知ったことが執筆のきっかけだったという。わずか三十年あまりの生涯の多くを時代と社会と家族に仕え、最後の最後で誰もが啞然とするような姿を見せた、一人の女性。 史上初の高所での占拠闘争と聞けば肝の据わった豪傑を思い描いてしまうが、物語の中の彼女はむしろ親の言いつけにだまって従う〈普通〉の娘だ。生命力旺盛で進取の気性はあるものの、まあそういうものだからと自分をのみこむ。顔も知らぬ年下男のもとへ嫁ぎ、その夫から日本からの独立運動に身を投じたいと言われれば夫婦で運動に飛び込む。口では「同志」と言いながら女に割り当てる仕事は炊事仕事ばかりの独立軍にあって、持って生まれた機転と度胸で夫以上に頭角を現していくが、じゃあ女性抗日運動家の道を歩むのかと思えば歩まない。夫の顔を立てて身を引く。「生涯かけて親きょうだいに孝を尽くし夫に仕えることが女の最高の徳目と教えられてきた昔気質の女」だからである。 独り身になって実家に戻れば、「傷物の女子(おなご)」を片付けんとばかりに再度縁談を持ち込む父親。そこでも歯向かうよりは逃げることを選び、たどり着いた先は平壌のゴム工場だ。作業班長に頬を張られ、苛酷な労働条件で搾取され、些細な夢を揶揄されてもまだ姜周龍は闘わない。賃金削減の動きに労働組合が組織化されはじめても、まだ。 だが、立ち上がった女工たちが一人ずつ切り崩され、その彼女たちはかつて独立運動の場で聞いた「同志」という言葉で言い表せると気付いたとき、ついに姜周龍は立ち上がる。堪忍袋の緒が切れたように全面展開する。 爽快、というのではない。むしろ、手負いの動物が生きるために最後の反撃を試みるのを見せられるようで胸がつまる。「あたしがいつ闘いたいって言ったんですか。世の中に闘うのが好きな人なんているんですか。闘いたいなんて嘘っぱちです。闘うのが好きなんじゃなくて勝ちたいんです」。姜周龍の切実な言葉は、八十九年後の日本で繰り広げられているさまざまな光景、そこで闘うさまざまな人と重なる。闘いたくて闘っているんじゃない。これ以上我慢できないから、やむをえず闘っているのだと。 高空籠城を労働運動の「戦術」と書いた。だが、姜周龍が丘の上に立つ楼閣、乙密台(ウルミルテ)を目指したのは別な理由からだ。彼女を高所へ追いやる何かに絶望を抱く一方で、力の限り正しさを追求する存在には系譜があることへの安堵も感じる。民話のようにぬくもりと湿度のある文体が、闘わざるをしては生きられなかった女性の生涯にやさしく寄り添っている。(萩原恵美訳)(おさない・そのこ=翻訳者)★朴曙孌(パク・ソリョン)=鉄原(チョルォン)で生まれる。二〇一五年、短編「ミッキーマウス・クラブ」で『実践文学』新人賞を受賞してデビュー。著書に『マルタの仕事』など。本書の原著は第二十三回ハンギョレ文学賞(二〇一八年)受賞作。