――その「思考法」を学ぶのに最適な講義録――長谷川貴彦 / 北海道大学大学院文学研究院教授・近現代イギリス史・歴史理論週刊読書人2020年7月17日号(3348号)東大連続講義 歴史学の思考法著 者:東京大学教養学部歴史学部会出版社:岩波書店ISBN13:978-4-00-061406-1東大教養学部歴史学部会の全一二回のオムニバス講義。対象や時代を異にする教員が、それぞれの専門分野について語っている。とはいえ、各自が好き勝手に述べている訳ではない。かなり綿密に構想が練られ、全体として歴史学の現状を浮かび上がらせるような構成になっている。かつて西欧世界に誕生したと言われる歴史学は、国民国家を対象として「偉人」の政治史を語ってきた。その後、アプローチの仕方を社会史や文化史へと、また対象も「普通の人びと」へと変化させてきた。それでは、その現在の姿はどうなっているのだろうか。本書の内容から拾い出してみよう。 第一に、国民国家や「偉人」の歴史に代えて、人類学や民俗学と連携しながらローカルな次元に降り立ち民衆のレベルから歴史を捉えようとしてきた。歴史学の対象は、労働者や農民、女性、移民、貧民など周辺化された人びとへと移り、日常史やミクロストリアと呼ばれるアプローチも誕生した。それだけではない。本書では「お産」という事例が紹介されているが、人間の身体までもが関心の的となった。アナール学派と呼ばれるグループが推進してきた社会史・文化史の潮流は、読書行為という振る舞い(実践)をも対象としてきたことはよく知られている。さらに最近では、ニューロヒストリー(神経史)という分野も開拓されていて、人間の心理や主観性の領域にまで進出しようとしている。感情史というジャンルが、情動や感性を対象に含めるようになり始めているのだ。 第二に、断片化されたミクロな傾向への反動として、時間や空間のスケールを拡大し長期的かつ広域的な視点から歴史を捉えるようになっている。空間という点では、国民国家に対象を限定したアプローチに代わって、国境を超えて展開する環境問題や気候変動などグローバル化のもたらす課題を意識した歴史像を描き出そうとしている。そこでの歴史叙述は、ローカルな地域から国家、そして広域的な地域、そしてグローバルな空間へといたる多元的な位相を設定しながらおこなわれる。他方で、時間という点でも、超長期的な視点をとるようになっている。本書では触れられてはいないが、ビッグヒストリー(宇宙史)やディープヒストリー(人類史)というかたちで、宇宙の歴史や文字の発明以前の人類の歴史までもが論じられるようになった。「全地球的時間」で歴史を見る視点が必要とされるようになっているのである。 第三に、歴史学は自己省察の志向性を強めて、歴史叙述の多様な形態にも目配りするようになった。その点では、二〇世紀後半からの言語論的転回の歴史学へのインパクトが大きい。歴史叙述とは科学的・客観的なものではなく、それに先行して存在する物語の形式によってあらかじめ規定されているというのだ。「メタヒストリー」という言葉が流行となり、歴史は文学だと主張するものも現れた。メタレベルでの歴史学への関心は、歴史学の歴史、つまり「史学史」というジャンルに光を当てるようになり、グローバル化のなかで世界各地の歴史叙述の独自の形態に注目するようになっている。たとえば、イスラームや中国における歴史叙述の伝統は、西欧起源の歴史学に対して劣位にあるものではなく、独自の時間や空間の観念をもつ点が認識され、固有の価値を与えられるようになった。またインドのサバルタン研究なるグループは、植民地主義のもつ複雑な権力構造を析出して、失われた従属的民衆の声を復元するようになっている。世界的にも独自の達成をもたらした日本の戦後歴史学も乗り越えるべき批判の対象というより、別の観点から再評価されることになる。 以上、本書は主として三つの方向に転回するなかで変容していく歴史学の姿を、いわばスナップショット的に捉えたものである。現在、「パブリック・ヒストリー」という分野が注目されている。それは、博物館や史跡の展示、映画やアニメなどの媒体を通じてアカデミズムと市民社会を結びつけることに関心を注いでいる。本書の想定される読者は、大学の教養課程の学生であるという。だがおそらく、本書は予想の範囲を越えて専門外の一般市民(パブリック)にも、歴史学の現状を伝える回路として有益なものとなろう。読書案内として紹介される文献も豊富だ。歴史への入口とする読者は、個々の興味深いエピソードに耽溺してしまうかもしれないが、タイトルにある歴史学の「思考法」を学ぶにはまさにうってつけの書である。(はせがわ・たかひこ=北海道大学大学院文学研究院教授・近現代イギリス史・歴史理論)