――肉声を聞くような、飾らぬ生き生きとした筆致――桂川潤 / 装丁家・イラストレーター週刊読書人2020年12月11日号オレの東大物語 1966~1972著 者:加藤典洋出版社:集英社ISBN13:978-4-08-789014-3 炎熱納まらぬ八月も末の午後、「謹呈 著者」の送り状とともに本書が届いた。「著者・・」の二文字に思わず心が騒いだ。二〇一九年五月の没後も、加藤典洋さんの「レイト・ワーク」の刊行は途切れなかった。『図書』の連載エッセイを中心に同年十一月に刊行された『大きな字で書くこと』(岩波書店)を口火に、やや遅れて私家版の詩集『僕の一〇〇〇と一つの夜』が続いた。病床にあって日録のように綴られた加藤さんの詩は、一部が『現代詩手帖』に紹介されたが、「詩のようなもの」との謙遜とうらはらに、蕭然たる冬の孤独を映す、忘れがたい作品だった。そして加藤さんの死を実感できぬまま半年が過ぎた夏の終わりの、思いもかけぬ「謹呈著者」。日ごろ「僕」を一人称としていた加藤さんが、郷里山形の言葉そのままに「オレ」で語る。若い日々の思い出語りは、差し向かいでその肉声を聞くようだ。半世紀近く前の体験が、映画でも観るように原色で紡がれ、灼熱の陽光をもって迫る。「地方というか僻地には、かえって辺境にいるために触覚が異常に伸びたコオロギみたいな存在が生まれる」と記される通り、文学に憧れて上京し、東大に入学した加藤さんは「一方で文学、他方で風俗、文化の熱気。時代も社会も混乱していたが、オレも十分に軽薄に混乱していた」。「フーテンの夏」を謳歌していた加藤さんを「暴力学生」へと一変させたのが東大闘争だった。息をもつかせぬ顚末は本書で堪能されたい。著者の出会った傑物たち――藤井貞和、長谷川宏、大西廣、今井澄、山本義隆、秋田明大らが象徴するように、闘争からは梁山泊ともいうべき異空間が現出した。しかし、著者の「闘争」は挫折へと向かう。文学をめざしたはずの著者は何も読めなくなり、最後に心に響いたのは中原中也の詩だけだった。「闘いは勝利だった」とする時計台放送の終結宣言への懐疑、「王様は裸だ」という自覚が、加藤さんを文学から批評へと向かわせた。 二三〇ページ近い本書を、加藤さんは死の二ヶ月ほど前の病室で、わずか二週間で書き上げた。全編のむせ返るような熱気が、在りし日の「文学少年」を思わせる。晩年の著作は、往々にして書き手の衰えを感じさせるが、死の床で記された加藤さんの三つの「レイト・ワーク」は、解説の瀬尾育生が「書く病気」と形容したように、衰えどころか最盛期にも見られなかった「あたらしい文体」を示し、しなやかな勁さ、飾らぬ生き生きとした筆致に驚かされる。著者とその時代をモノトーンの鉛筆画で悼んだ南伸坊の装丁・装画も感慨深い。「当時の全闘連の中心人物の一人」として本書に登場する在野の哲学者長谷川宏さんは「惜しい人を亡くした」としみじみ述べた。筆者も十数冊の加藤さんの著作を装丁し、幾度か心置きなくお話する機会に浴した。本書を閉じ、しばし目を瞑る。今度こそ、ほんとうに加藤さんは逝ってしまった。(かつらがわ・じゅん=装丁家・イラストレーター)★かとう・のりひろ(一九四八―二〇一九)=文芸評論家・早稲田大学名誉教授。東京大学文学部仏文科卒。文学から文化一般、思想まで日本の近現代の幅広い分野で活躍。著書に『言語表現法講義』(新潮学芸賞)『敗戦後論』(伊藤整文学賞)『小説の未来』『テクストから遠く離れて』(二冊で桑原武夫学芸賞)『敗者の想像力』『9条入門』『大きな字で書くこと』など。