――日本の三〇年代を生き、闘った抵抗詩人たち――渡邊澄子 / 大東文化大学名誉教授・日本近代文学週刊読書人2021年11月12日号ひとつの星を歌おう 朝鮮詩人独立と抵抗のうた著 者:金正勲(編訳)出版社:風媒社ISBN13:978-4-8331-2108-8「安倍傀儡」「疑惑の玉手箱」などと言われた岸田政権から見えてくるのは、識者が警鐘を鳴らしているが、一五年戦争の幕開けから始まった、多喜二虐殺が象徴する一九三〇年代(戦前)の日本社会である。戦後憲法の精神に反する日本学術会議会員の任命拒否問題はその好例だろう。絶対にずるずると巻き込まれてはならない。危機的状況下の現今、本書の刊行はまさに時宜を得たものと言える。 編訳者の金正勲氏は、漱石、多喜二、新美南吉、松田解子などの著書その他によって、夙に日本文学を韓国に広めてくれている韓国の日本文学研究者である。氏が文学と社会の関係に強く関心するようになったのは修学時に出会った光州民主化運動での強烈な刺激と、日本留学による日本の研究者との交流で触発された事によるという。編訳本書刊行は現況に対する危機認識によるだろう。 本書には「南北を問わず、コリアンにもっとも愛され、尊敬された抵抗詩人」六人の生涯と活動が紹介されている。六人は、いずれも日本留学体験者で日本の三〇年代を生き、闘った人たちである。すなわち尹東柱(ユンドンジユ)(一九一七―四五、立教・同志社大、獄中死)、沈熏(シムフン)(一九〇一―三六、日活撮影所で日本映画監督協会初代理事長の村田実に師事)、李相和(イサンフア)(一九〇一―四三、アテネ・フランセ)、李陸史(イユクサ)(一九〇四―四四、日大、獄中死)、韓龍雲(ハンヨンウン)(一八七九―一九四四、駒沢大)、趙明熙(チヨミヨンヒ)(一八九四―一九三八、東洋大、刑死)である。私が知っていたのは尹東柱のみだった。 六人の詩人(文学者)たちは、一九一〇年八月二九日の「詔書」の「韓国ヲ帝国ニ併合スルノ件」で始まる併合で、総督府官制を統治形態(「総督ハ天皇ニ直隷シ朝鮮ニ於ケル一切ノ政務ヲ統轄スルノ権限ヲ有スルコト」〈傍点は筆者〉)とした厳しい監視、弾圧をもろに受けた人たちである。日本帝国主義のこの露骨な侵略に抗した祖国解放、民族独立運動は一九一九年の「三・一運動」以後、多くの犠牲者をだしながら各地で起きているが、創氏改名、韓国語使用禁止、日本語使用命令、皇室尊崇強要、朝鮮人学徒参戦、特攻戦死者礼賛等々と、民族の尊厳を踏みにじってエスカレートしている。六人中三人が獄死・刑死であることの残酷さ。彼等は植民地民としての屈辱・鬱憤から、民族の尊厳を守るために死を賭して抵抗した人たちだった。この人たちを知らずに書いたことで悔いが残るが、拙著『植民地朝鮮における雑誌「国民文学」』で明示したおぞましい侵略の現実への抵抗の闘いが本書を構成している。総督府による凄まじい監視・弾圧下にあっての隠喩的表現に、植民地朝鮮における民衆の苦悩の深さを知らねばならぬ。引用したいが紙幅がない。「奪われた野にも春は来るのか」(李相和)の初句と結句の「いまは他人の地、奪われた野にも春は来るのか」、「しかし今は野を奪われ、春さえも奪われそうだ」のみ、せめてもとして挙げておこう。 テレビでハングル講座もある現況下、ハングル原文の併載は語学テキストとして有効だろう。編訳者の日本人読者への思いやりが嬉しい。(わたなべ・すみこ=大東文化大学名誉教授・日本近代文学)★キム・ジョンフン=全南科学大学校副教授。韓国・朝鮮大学校国語国文学科を卒業後、日本に留学。韓国の視点から日本文学を読む中央大学政策文化総合研究所の客員研究員歴任。一九六二年生。