――将軍と主従関係のもと生きる大名の生活――藤田覚 / 東京大学名誉教授・近世史週刊読書人2021年10月8日号大名の江戸暮らし事典著 者:松尾美惠子・藤實久美子(編)出版社:柊風舎ISBN13:978-4-86498-068-5 江戸時代の大名の多くは、参勤交代制度の確立とともに、隔年に国元と江戸を往復し、一年間は江戸で暮らした。本書は、その江戸暮らしと住居の江戸藩邸(大名屋敷)、藩邸に暮らす妻や家族、大名を支える江戸詰め藩士と藩邸を支えた地域社会や町人・百姓身分との関係について解説した事典である。藩邸に詰めるため江戸にやってきた勤番藩士の暮らしを、日記により描いた著作が話題になったことがあるものの、大名自身についてはよく知られていない。本書は、藩邸に暮らす大名と藩邸の仕組みなどを、一六七の項目と七つのコラムから解説している。事典なので日本史辞典などより説明が詳しく、辞典ではわかりにくい儀礼、服装などについて理解しやすい。近世史では、将軍・幕府と大名・藩が全国の土地と人民を支配する政治機構を幕藩体制とよんでいる。その成立・確立の過程を、藩の側から検討する藩制成立史がさかんに研究され、さらに、個別の藩領域を一個のまとまりととらえ、領民も包摂した藩社会研究などが現在までおこなわれてきた。しかし、その研究対象は国元、すなわち藩領だった。 いっぽう都市史研究が発展し、巨大都市江戸の人口の半分を占める武士の住んだ武家地研究が進んだ。そのなかで、二六〇ほどの大名が構えた藩邸と大名同士が取り結んだ大名社会に関心がもたれるようになった。大名が隔年に暮らした屋敷が、幕府から拝領した土地に建つ江戸藩邸であり、文献による研究と赤門で有名な加賀藩上屋敷(東京都文京区本郷)の発掘による考古学的知見も蓄積されてきた。本書は、藩政史研究と江戸の武家地研究の発展をふまえた、藩邸からみた藩研究であり、幕藩体制の制度史研究である。とくに、最新の研究を踏まえた専門研究者による的確な解説が光る。 全体は、第一章「将軍からの法度と領知」、第二章「公儀役」、第三章「将軍の警衛・江戸の守備」、第四章「登城・拝領・献上」、第五章「城内外での作法・規定」第六章「当主と人生儀礼」、第七章「交際・修学・教養」、第八章「屋敷と構造・経営・地域」、第九章「屋敷の居住者と生活」、第一〇章「年中行事」からなる。大名は藩邸にいて何をしていたのかを中心に、住居である藩邸の構造と居住者、江戸暮らしを支えたさまざまな要素が、豊富な図版とともに詳しく解説されている。 大名は、幕府の法により生活と行動を規制され、さらに微細な大名の格式の差に応じた行動を要求された。また、将軍に関わる各種の江戸城中の儀礼に参加し、さらに将軍からさまざま課される普請工事や江戸城諸門の門番などの役務を果たし、また大名同士の付き合いなどにも心を配るなど、本書を読むとのんびりした江戸暮らしとはほど遠い。 藩は、年間収入の約四〇から五〇%を江戸藩邸の経費に支出していた。林子平が、藩財政窮乏の原因は江戸藩邸の支出だと喝破したのはもっともである。だが、将軍との主従関係のもとで生きる大名として、大名家と藩を持続させるために必須な支出と行動だった。 莫大な金がかかり窮屈そうに見える大名の江戸暮らしだが、江戸生まれ、江戸育ちが多くなった大名たちは、国元に帰りたがらず、隠居の後は悠々と江戸暮らしを楽しむ者が多かったのも事実である。本書は、その理由の一端も考えさせてくれる。大名が江戸にいる間の国元との関係がほとんど触れられないため、国元と江戸藩邸の関係がよくわからない嫌いがあるので、今後その面が深められることを期待したい。(ふじた・さとる=東京大学名誉教授・近世史)★まつお・みえこ=学習院女子大学名誉教授・徳川林政史研究所参与・日本史・江戸幕府。一九四二年生。★ふじざね・くみこ=国文学研究資料館研究部教授・アーカイブズ学・歴史学。一九六四年生。