看過できない問題を明らかに 田仲康博 / 沖縄大学非常勤講師・社会学 週刊読書人2022年4月1日号 沖縄とセクシュアリティの社会学 ポストコロニアル・フェミニズムから問い直す沖縄戦・米軍基地・観光 著 者:玉城福子 出版社:人文書院 ISBN13:978-4-409-24145-5 本書のテーマは何か。独創的な映像論を通読してまず頭に浮かんだのが、この単純な問いであった。 近年の沖縄研究は盛況を呈している。ひとまずそう言えるだろう。毎年、膨大な数の論文と書籍が出る一方で、沖縄をテーマにした学会や研究会が各地で開かれている。現状に批判的に介入するという点では、とくにポストコロニアリズムとジェンダー・セクシュアリティーの研究成果の蓄積がめざましい。しかし、本書によれば、そこには看過できない問題がひそんでいる。 それは第一に、沖縄におけるセクシュアリティの問題をあつかう際に植民地主義への視点が抜けおちる傾向があること、そして第二に、被植民者のアイデンティティ形成に性差別主義がどう関わっているのかという検証作業が見おとされる可能性があることだ。重要なのは、それぞれの研究に欠落している点を相互に補完しあえば済むという類の簡単な問題ではないということだ。著者は、そこには植民地主義と性差別主義の「共犯関係」が存在していると喝破する。それが差別や暴力の不可視化をもたらし、結果として弱者の排除につながっているというのだ。 本書は、女性国際戦犯法廷をめぐる議論、自治体史にみられる「慰安婦」や「慰安所」の記述、沖縄県平和祈念資料館改ざん事件、米軍による性暴力、そして歓楽街浄化運動のケースを取りあげて、それぞれの場面における「分断」と「排除」の実態を実証的に検証していく。たとえば、ポストコロニアリズムに内包される性差別の実態について著者は、慰安婦をめぐる議論を例にあげて分析する。そこでは「妻=母」と「娼婦」が区別され、後者が差別や排除の対象となることがあることを指摘する。セクシュアリティをめぐる境界線が引かれることで、辻遊郭の女性たちが地域から排除され、さらに歴史記述からもこぼれ落ちていく様を本書は丁寧に解説していく。こうした記憶の表象のあり方が、現在の性暴力被害者や売春女性の周辺化と排除につながっているとする著者の指摘は、沖縄の現状を批判的に考える上で極めて重要なものだ。 著者の目的は、沖縄に対する植民地主義を可視化し、そこにおいて等閑視されがちな性差別の現状を描き出すことにある。社会にさまざまな分断線を引くことで延命をはかる植民地主義の仕組みが本書を通読することで見えてくる。同時に、現実の差別に目が向かないフェミニズムや、誰かを排除したままのポストコロニアリズムには現状を変革する効果が期待できないこともまた理解されるだろう。 ジェンダーやセクシュアリティに基づく差別が植民地主義の継続にかかわっていることは、これまでも一部の研究者によって指摘されてきた。しかし、大半の研究者が自らの立ち位置を批判的検証の枠外においてきたことも事実で、本書が詳述するような問題はそこから生じた。ジェンダーの視点と植民地主義の視点の双方を取り入れるポストコロニアル・フェミニズムの立場から、沖縄戦後史を読み替え、性暴力や性差別が頻発する沖縄の現状に批判的に介入する道筋をつけた本書が、研究や運動の現場に新しい風をもたらしてくれることに期待したい。(たなか・やすひろ=沖縄大学非常勤講師・社会学)★たましろ・ふくこ=日本学術振興会特別研究員PD(沖縄国際大学)。特定非営利活動法人社会理論・動態研究所研究員。大阪大学大学院単位取得退学。一九八五年生。