――風呂から覗いた日本とアジアの近現代史――石川理夫 / 温泉評論家・日本温泉地域学会会長週刊読書人2021年11月19日号戦争とバスタオル著 者:安田浩一(文)/金井真紀(文・絵)出版社:亜紀書房ISBN13:978-4-7505-1710-0 ノンフィクションライターと文筆家・イラストレーターの二人の著者は、お風呂大好きな「銭湯友だち」。日本には温泉銭湯も多いから、最も気の置けない湯仲間である。ふだんより地道に取材を重ね、相手の話に真摯に耳傾け、社会的テーマにも取り組むゆえに心と体は重たくなる。そんな疲れや理不尽さへの怒りを解き放ってくれるのが湯浴みだ。 湯上がりにビールを飲み、ヘイト本などがちまたにあふれる状況を憂う二人は意見が一致した。「いろんなお風呂に入る本はどうだろう。湯けむりの先にある歴史の真実を紐解く。最高に気持ちよくて、まじめな本」をめざそう。こうして著者はバスタオルを引っかけて世界中のお風呂を旅しようとしたが、コロナ禍もあいまってまずは国内と身近なアジアの国(タイ・韓国)のお風呂を訪ね入ることにした。 漫然としたお風呂旅ではない。そもそも銭湯・温泉はあらゆる人が集い、安らぎ、開放的になる場。本来、敵味方なく等しく憩い癒され、争い事をしてはならない貴重な〈平和な避難所(アジール)〉であった。著者のお二人は聴き上手でオープンマインドな人柄もあいまって、訪れた先で湯仲間と次々出会う。いや探す。さらに縁をたどって、もやもやとした湯けむりの彼方にひそんでいた土地や人々にまつわる事実、歴史の泉源に近づく。銭湯から浮かび上がってくるのは過去の戦闘、戦争体験である。 本書のタイトルが示すとおりで、相手への敬意と共感でつながるゆえに読みやすい。さらに本書へ誘う磁力を放つのが、著者の一人が描く優しいイラストがふんだんに盛り込まれていること。イラストからも、登場する人たちを親身に感じられよう。三七六頁とボリューム、内容も濃い本ながら、一気に読んでしまえた。 本書の一部を紹介したい。最初に向かうタイのミャンマー国境近い山中のヒンダット温泉は、川面と縁で仕切られた豪快な露天風呂で、自然との一体感がすばらしい。温泉で体が火照ると、横を流れる渓流に入れば、天然の冷熱交互浴となる。「誰もが等しく悦楽を味わう場所」でタイの人々も解き放たれた気分を満喫していたが、この温泉開発にはアジア太平洋を戦禍にまきこんだ先の戦争が、日本兵が関わっていた。バンコクからヒンダット温泉に向かう際に乗った鉄道路線はかつての「泰緬鉄道」で、建設では約一万二〇〇〇人の捕虜と実数も不明なほどのアジア人「ロームシャ」の命が奪われている。開発した温泉はどのように利用され、誰を癒したか。著者はそれを見つめていく。 沖縄では県内唯一残る銭湯、地下三五〇メートル掘って汲み上げた弱アルカリ性で肌つるの鉱泉を利用した日本最南端の「ユーフルヤー」を訪ね、銭湯主の女性シゲさんと出会う。シゲさんも魅力的だ。戦後掘った井戸と銭湯は、沖縄の今も続く受難である戦争と占領期、今日までの彼女の苦楽の人生そのもの。収容所体験も抱いて集う常連客を同じ温かさで受け容れる銭湯コミュニティーが少しでも長く保たれれば、と願う。 韓国では釜山郊外の海雲台温泉と東萊温泉、続いてソウルでは伝統的蒸し風呂「汗蒸幕」のサウナ施設「チムジルバン」を体験している。前者はどちらも朝鮮王朝時代からの温泉だが、日本の植民地支配時代に開発が進んだ。言うまでもなく植民者が湯の悦楽を味わいたいからである。著者はここでも背景の出来事を真摯にたぐりよせる。登場する人物の豪快さぶりがまたおもしろい。 圧巻は、国内で引揚者たちの銭湯を通じて秘密の工場の所在を知り、「温泉とうさぎ」をPRする瀬戸内海の小島に行き着く道のりである。湯けむりの先は、製造に従事させられた少年工員も深刻な被害にさいなまれた毒ガスが充満する世界。浴場は体についた毒ガスの飛沫、においを必死に洗い流す場だった……。証言者の最後の決意に身がふるえた。著者が湯けむりの向こうを覗く旅を再開し、本書の続編が編まれることを望む。(いしかわ・みちお=温泉評論家・日本温泉地域学会会長)★やすだ・こういち=ノンフィクションライター。「ルポ 外国人『隷属』労働者」(月刊「G2」)で大宅壮一ノンフィクション賞雑誌部門受賞。著書に『ネットと愛国』(講談社ノンフィクション賞)『ヘイトスピーチ』など。一九六四年生。★かない・まき=文筆家・イラストレーター。著書に『世界はフムフムで満ちている』『マル農のひと』、共著に『世界のおすもうさん』『日本語をつかまえろ!』など。一九七四年生。