短歌、随筆・評論、小説と多岐にわたる才能を発揮した作家 服部徹也 / 東洋大学講師・日本近現代文学週刊読書人2022年2月11日号 大塚楠緒子作品集著 者:大塚楠緒子(著)/石﨑等(編)出版社:未知谷ISBN13:978-4-89642-645-8 大塚楠緒子という女性作家は、これまでその早逝を悼んで「有る程の菊抛なげ入れよ棺の中」と詠んだ夏目漱石との関係から語られてきた。近年『日本近代短篇小説選 明治篇2』(岩波文庫)や『新編日本女性文学全集』(六花出版)に作品が収録され、この度『大塚楠緒子作品集』を得て作品そのものに光があたる機会が訪れたといえる。所収作品は新体詩、短歌、随筆・評論、小説と多岐にわたる。特筆すべきは唯一の連載長編となった「空薫そらだき」「そら炷だき(続編)」の世界と、彼女の短歌とを並べて読めることだ。この長編は、『東京朝日新聞』上に須藤南翠『ゆるさぬ関』の後を引き継ぐ形で連載され、作者の病により連載を中断して前編とした。別のページでは島崎藤村『春』が進行しており、『春』完結後は漱石の『三四郎』が続いた。後編の連載は、森田草平『煤煙』の後である。文学史上あまりに有名な作品に囲まれていた本作だが、未読の方も多いと思われる。 美貌で野心家の雛江は二六歳の折、二五歳も年上の貴族院議員北内の後妻となるが、早逝した恋人の面影を継子の大学生輝一に見いだして心を乱され、輝一と思いを寄せあう少女泉子との仲を引き裂こうとする。やがて雛江は先妻の死の真相と泉子の父親の秘密を知るに及び、誘惑に応じない輝一へあてつけに全てを告げる。輝一は泉子と結ばれることを断念する。一方雛江は、病衰する夫を置いて泉子の父と逢瀬を重ね、夫なきあとの野心を燃やす。物語の骨組みこそ文学専攻の大学生輝一とその内面の屈託を中心に回っているように見えるものの、雛江という女性とその情念にこそ注目すべきであることを表題は告げている。香の煙のように自由に形を変え、捉まえることができない。内に燃やす熱情を巧みに隠し、手練手管で人を操ろうとする雛江そのものを表わすかのようだが、雛江自身すらもその立ち上り広がる欲望をコントロールできないのだ。「楠緒子の本質は短歌にあった」とする編者は、『有る程の菊 夏目漱石と大塚楠緒子』(未知谷)で樋口一葉、楠緒子、与謝野晶子が順にそれぞれ三歳違いであり、一葉や晶子とは異なった仕方で〈うた〉から散文へ架橋を試みたと楠緒子文学を再考することの意義を説いている。長編完結後、結果的に「最晩年」となった時期の歌に「かくてわが恋は生きたりなかなかに契らざりしを今は悔まぬ」がある。長編中で雛江が有夫恋愛をダンテ『神曲』中のパオロとフランチェスカになぞらえて「恋は罪でしょうか」「私は、一生に一度も恋ということを感じないで死ぬ人は、春咲く花の蔭にいながら、上を見て、色をも香をも仰がずに済むと同様でしょう」「フランチェスカの身にしたらば、地獄へ落ちても、悲痛の中に満足があるのでしょう」と語らせたことを思い合わせれば、鬼気迫るものがある。楠緒子没後に漱石もまた『行人』の兄弟の会話でこの二人を取り上げている。なぜ世の人々は二人の名を記憶しながら、本当の夫の名を忘れるのか。それは「人間の作った夫婦という関係よりも、自然が醸かもした恋愛の方が、実際神聖だから」だと。本作品集を通して、ジャンルを横断して才能を発揮した大塚楠緒子という作家の名が人々のあいだに新たに記憶されることを期待したい。(はっとり・てつや=東洋大学講師・日本近現代文学)★おおつか・くすおこ(一八七五~一九一〇)=作家・歌人。初めての作品集『晴小袖』(一九〇六)を刊行した翌年、夏目漱石と師弟関係を結び本格的な創作活動に入る。★いしざき・ひとし=立教大学名誉教授・日本近代文学。著書に、増補改訂版『夏目漱石博物館絵で読む漱石の明治』、『夏目漱石 テクストの深層』『有る程の菊 夏目漱石と大塚楠緒子』など。一九四一年生。