玉袋筋太郎 / お笑い芸人週刊読書人2021年5月21日号千ベロの聖地「立石」物語 もつ焼きと下町ハイボール著 者:谷口榮出版社:新泉社ISBN13:978-4-7877-2028-3 人は「聖地」と呼ばれる地に簡単にたどり着けるだろうか? 誰しもが簡単にたどり着けるような地ならば聖地とは呼ぶべきではない! 私にそんな思いをさせる「聖地」こそが本書のタイトルにある葛飾区の「立石」である。お手軽な酒飲み特集の雑誌は片っ端から購入し、今度はあの街を攻めようかと行動に移してきたが、そんな上っ面な特集記事の中でも「立石」だけは別格で飲酒歴三五年の私の酒修行をもってしても「まだまだ立石の黒帯(昼から千ベロで飲っている先人達)に比べればペェ〜ペェ〜の白帯なんだから、立石という聖地に足を踏み入れることはならぬ!」身体にもっとアルコールを沁み込ませ、昼間っからひと目を気にすることなく飲める強い精神と、千円でベロベロになれる弱い肝臓を作りあげ、黒帯までにならないと訪れてはならない!と勝手な自制心で訪れることを躊躇していた。そして本書が世に発表され、また私が目指す「聖地・立石」が遠のいてしまうのではないか?という思いで読みだしてみると肉体労働後のハイボール(ウィスキーにあらず甲類焼酎!)のように立石生まれの立石育ちである著者・谷口榮さんの立石に対する濃いめの愛情と知識と経験がグイグイと身体に入ってきたのだ。 過去から現在までの立石の人口増加の理由、交通網の発展、街の成り立ちから移り変わりなどはもちろん、千ベロの聖地の主役である「もつ焼き屋」の細かすぎるデータまで完全網羅。なおかつ著者自身の幼少から青春時代、そして家族の物語の記憶まで、聖地立石を芝浦と畜場で腕のある職人さんに見事に解体された食肉もびっくりな術でもつ焼き屋の品書きにある部位よりも細かく解体して読者に「焼いてよし、ナマで良し」と提供してくれるのだ。本書の特筆はもし立石のもつ焼き屋が遺跡で発掘されたらという、ドリフで人気コーナーだった「もしものコーナー」もびっくりな調査報告! まさかもつ焼き屋で使っている器を発掘された土器に見立てる仮想で調査するとは、小学生の頃から周囲からの偏見の眼差しを受けつつ遺跡発掘に興味を持ち、それが生業になった谷口さんならでは真骨頂であり、この先、いつ、どうなってしまうかわからない世の中に存在する立石にとって貴重な考察なのである。谷口さんは苦笑いかもしれないが過去に世間を騒がせた遺跡発掘の「ゴッドハンド」と呼ばれた男がいたが、谷口さんこそ「リアルゴッドハンド」で立石の発掘調査をやってのけた人物なのである。 この書評を書くにあたって編集部の計らいで立石を訪れることができた。なんと著者の谷口さんがナビゲート役を買って出てくださったのだ。本にも出てくる立石エピソード回想、とくに家族の物語には胸を打たれた。生まれ育った景色、仲間、家族への想いが詰まった聖地とは言い換えれば故郷なのである。人は日々に忙殺され新たな情報を上書きする日常ですっかり故郷を忘れてしまいがちだ。昭和に「誰か故郷を想わざる」という故郷を歌った名曲があるが、谷口さんは立石のもつ焼き屋に置き換え「タレが故郷を想わざる」と歌っているといってもいいだろう。安売り状態の聖地紹介の類にはない聖地をここまで精緻に記した本に出会ったことがない。ご一緒させてもらい素晴らしき聖地での一夜を過ごした私だが、家にどうやって帰ってきたのか記憶がなかった……私の目指す聖地はまだまだ遠いのだろうか? この本は昭和の映画の惹句じゃないが「読んでから飲むか、飲んでから読むか?」と問われれば、もちろん「読んでから飲む!」事によって「千ベロの聖地 立石」へ飲兵衛を導いてくれるのだ。(たまぶくろ・すじたろう=お笑い芸人)★たにぐち・さかえ=歴史学者。東京下町の環境と人間活動の変遷を通史的に研究。著書に『東京下町の開発と景観』など。一九六一年生。