――波瀾万丈な戦いの足跡――神田法子 / 書評家・ライター週刊読書人2021年11月26日号私のいない部屋著 者:レベッカ・ソルニット出版社:左右社ISBN13:978-4-86528-046-3 誰もいない部屋で鏡の中の自分を見失いそうになる少女は、さながら現代のアンネ・フランクだ。彼女の(そして私たちの)生きる現代社会では戦争が起こっているわけでもないし、ちゃんと法によって人権が保障されているはずだ。にもかかわらず、彼女は閉じ込められている、一歩外に出ると暴力や視線に晒される恐怖によって。その息苦しさ、萎縮した気持ちは自分の存在をうまく肯定できず、夜歩きたいというごくシンプルな望みさえ押し込められてしまう。少女の名は、レベッカ・ソルニット。後に「マンスプレイニング」という言葉の元になる『説明したがる男たち』を著した、ノンフィクション作家でありフェミニストである。本書は彼女の自伝であると同時に、二○世紀終盤にフェミニズムが普通の女性たちの間で巻き起こり浸透していくさまを描き、そして二一世紀の女性およびフェミニズムの進んでいく方向を模索するテキストとなっている。 アンネ・フランクが隠れ家の中で、自らの想像力と読書によって生きる希望を見出していったように、少女レベッカも本を翼ある鳥にたとえ、想像の世界に羽ばたくことに希望を見出そうとするが、本の世界もまた男たちの歴史であり、書き手や主人公は男で、女は力を持たず都合のいいミューズや母としての役割しか与えられていないことに失望する。ならば自分で自分を解放できる本を書くことに活路を見出すが、一人暮らしを始めた部屋のための書き物机をくれた友人がかつての恋人に一五回も刺されて死んだことをはじめ、女であるかぎり暴力に晒され続けるという事実を目の当たりにすることになる。雑誌の編集部で働いた経験をもとに取材し、書くテーマに選んだサンフランシスコのアートシーンでもメインストリームにいるのは男たちで、女の存在はなきもののように扱われる、たとえパンクファッションに身を包んでいても。彼女は人生のこの時期を振り返って、戦時と名付けている。自由平等を謳うアメリカの現代社会でも、一人の女性にとっては戦争と変わらないほどの負荷を強いられ、戦い抜くことが必要なのだ。 彼女は地域でもカルチャーでもメインではなくエッジ(周縁)に可能性を見出し、さらには自然と調和することに生きる術を見つけていく。声を獲得し、文章を書き、出版する道のりも決して平坦ではなく、男社会による無視やバッシング、搾取などに苦しめられるが、声が伝わり、それによって救われた女性がアクションを起こすことで、自らの言葉がワークしたことを実感できる。女たちが声を上げられるようになったのは#MeToo運動に見られるようにソーシャルメディアの普及も大きいだろう。現代のアンネ・フランクたちは自らの言葉で、態度で自分たちを解放できるようになったのだ。まるで物語のように、波瀾万丈な戦いの足跡。この戦いが見えない人は多い。女そのものが、歴史からなきものとされてきたように。だからこそ、可視化するリアリティが大事になってくる。レベッカ・ソルニットは芸術について「深く浸り込んでいって人びとの目には見えなくなり、ものの見方になってしまうものをつくること」が一つの意義と書く。そもそも彼女を苦しめている、本来人は自由であるべきだという考えも、昔は当たり前ではなく、優れた芸術や表現によって獲得されたものなのだから。アンネ・フランクは非業の死を遂げたが、今の世を生きるすべての女性にとってこの現実は続く。この本はそのような女たちのバイブルとなるだろう。(東辻賢治郎訳)(かんだ・のりこ=書評家・ライター)★レベッカ ・ソルニット=作家・歴史家・アクティヴィスト。カリフォルニアに育ち、環境問題・人権・反戦などの政治運動に参加。著書に「マンスプレイニング」の語を広めた『説教したがる男たち』『わたしたちを沈黙させるいくつかの問い』『迷うことについて』『災害ユートピア』など。一九六一年生。