渡邉大輔 / 批評家・映画史研究者/跡見学園女子大学専任講師週刊読書人2021年1月22日号活動写真弁史 映画に魂を吹き込む人びと著 者:片岡一郎出版社:共和国ISBN13:978-4-907986-64-3 シネコンやネット配信サービスなどの普及で、最近では昔ながらの映画鑑賞の習慣が大きく変わってきた。また、昨年からのコロナ禍は、その変化をさらに加速させている。だが、映画館のスクリーンで上映されるお馴染みの映画にしても、その誕生から約三十年間は、現在とはまた趣を異にする独自の文化として存在していた。 まだ「活動写真」と呼ばれていたその当時の映画は、無声(サイレント)――すなわち、音声がついていなかった。しかしだからこそ、活動写真時代の映画館は、劇場で楽士が伴奏音楽を奏で、客席では観客が銀幕のスターに向かって盛大に歓声や拍手を送る、ライブ感溢れる多様な「音」に満ちていた。中でも、その花形として、日本で独自に発達していったのが、スクリーンの脇に立ち、上映前や最中にストーリーの説明や登場人物に台詞を当てる「活動写真弁士」(活弁)と呼ばれる職業の人々である。彼らについては、一昨年、周防正行監督がその名も『カツベン!』という映画にして活きいきと描いたので、ご記憶の方も多いだろう(周防監督は本書に巻末解説も寄稿している)。 本書は、その『カツベン!』の制作にも参加し、自身も日本を代表する現役の活動写真弁士として国際的に活躍する著者の手による、活動写真弁士の歴史を包括的に描き出した、このテーマの本の決定版と言える大著である。 一口に活動写真弁士と言っても、その実態には実に多様な歴史的変遷があった。例えば、その説明の様式も、草創期の演説調の前説から上映中に随時説明を挿む形の中説明(中説)、そして複数の弁士が各々登場人物の台詞を演じる声色掛合(こわいろかけあい)へと、落語や講談のような先行話芸を取り込みつつ変化していったという。そして無声映画の浸透とともに、語り芸を洗練させていった弁士たちは、一時はスクリーンの俳優や監督以上のスター性を放つことになる。土屋松濤のようなスター弁士は、「「こんな写真じゃ声色がやりにくい」と言えば会社が作品を撮り直す」(一三一頁)といった、現在の私たちから見れば驚くような影響力を持っていたのである。著者は、「他国に類例のない日本映画の独自性であった」というこうした弁士の歩みを、膨大な文献資料を縦横に参照しながら、当時の日本映画史のアウトラインと照らし合わせ丹念に紹介していく。そればかりか、本書では著者の長年にわたる調査研究の成果だろう最新の知見に基づいた新事実の解説や詳細なリスト、数多くの貴重な資料図版が、惜しげもなく満載されている。 しかも、弁士を主題にした類書の多くが、映画の渡来からトーキー(有声映画)の台頭によって弁士が淘汰されていく昭和初頭までを扱うのに対し、弁士を「日本に江戸以前から数多くあった語り芸の気配を色濃く受け継ぐ」(一九頁)職業として捉える観点から、平安時代に生まれた絵解きや江戸時代の写し絵といった映画以前の多様な視覚文化史から話を始め、翻ってトーキー以降はもちろん、戦後から二一世紀の現代に至る、これまであまり知られることのなかった弁士の「その後」の姿までが辿られるのも、本書の大きな特徴の一つだろう。その帰結として、本書には草創期の弁士や映画興行を、アニメ声優の吹き替えなど現代の映像文化と結びつけて捉える壮大で柔軟な視線も加わっている。 しかし何より本書の最大の魅力は、五七〇頁余りの大著でありながら、その驚くほどの読みやすさと面白さに尽きる。知られざる海外の弁士の歴史や女性弁士の活躍の紹介から、「彼氏」や「一巻の終わり」が実は弁士由来の言葉であるなど、興味の尽きない話題を記したコラムの数々、そして詳細な弁士名鑑まで、盛りだくさんの目次は、やはりまずは聞き手=読み手を存分に楽しませたいという著者らしいサービス精神ゆえだろう。「春や春…」という声が聞こえそうな著者の名調子に乗せられて、弁士の魅力的な歴史を心地良く経巡った読者は、「活動写真弁史は、まだ半ば」(四六〇頁)だという著者の最後の力強い言葉に、深く頷くはずだ。(わたなべ・だいすけ=批評家・映画史研究者/跡見学園女子大学専任講師)★かたおか・いちろう=活動写真弁士・声優。日本大学芸術学部演劇学科卒業。活動写真弁士の澤登翠に入門。説明した無声映画作品は三〇〇作を数え、国際的に活躍。一九七七年生。