佐川亜紀 / 詩人週刊読書人2016年8月26日号平林たい子 交錯する性・階級・民族著 者:岡野幸江出版社:菁柿堂ISBN13:978-4-434-22180-4平林たい子は、一九二七年に発表した小説「施療室にて」でプロレタリア作家として認められ、以後も非凡な力量を示した作品を多く書いたが、宮本百合子や佐多稲子とくらべ先鋭な左翼女性作家としての印象は薄かった。自伝的作品が有名で、戦後に保守的色彩を濃くしたことが、積極的な評価をにぶらせたのかもしれない。 しかし、岡野幸江は、平林たい子の知られざる作品まで丁寧に深く読み込むことにより、性、階級、民族の三つの面を意識化し、複雑に交錯する実態を見透し、優れた小説に仕上げた作家として本書で再評価している。 プロレタリア文学では、階級問題が中心になった。それだけでも画期的ではあるが、しばしば観念的な理論のままで、すべてが階級構造に還元されがちで、男女間では因習的関係を繰り返し、他民族への支配・差別について鈍感だった。 平林たい子は、青春期のアナーキスト時代に旧道徳に抵抗して奔放な性愛に生きた。本書の「Ⅰ 〈性〉規範への挑戦」では左翼文学理論に対する平林の挑戦的作品として「プロレタリヤの星―悲しき愛情」などを取り上げ、ハウスキーパー問題にも果敢に取り組んだ功績を明らかにしている。 また、製糸業の盛んな信州に生まれ、製糸所の倒産で没落した家庭に育ったことから階級や資本主義経済への鋭い知性を培った。「Ⅱ 照射される〈階級〉概念」では、「夜風」や「植林主義」で資本や政府に圧迫される農村の人々を、「蛹と一緒に」などは悲惨な労働環境で働く女性労働者たちを描いた平林の社会認識力の高さを詳らかにしている。 特に注目したのは、「Ⅲ 帝国を撃つ〈民族〉の視点」における作品発掘と読解だ。平林の「国家と民族の枠組みを相対化する思考」を具体的に挙げている。「一 植民地朝鮮への眼差し」では、関東大震災後の朝鮮人や社会主義者虐殺を細やかに描いた作品「森の中」を再発見している。平林が朝鮮にわたったのは一九二三年で、一九年の三・一独立運動後に民族弾圧が強化された時だった。「ある朝鮮人」では「朝鮮人と日本人という対立と同時に、金のない者と金のある者という階級的視点、そして男よりなお貧しい女子どもというジェンダー的な視点をももち込み、宗主国の人間による植民地蔑視、そして植民地内部の階級対立、しかもそれが男と子連れの女であるという幾重もの対立や差別の構造が伏在することを浮き彫りにしていくのである」と評価し、内部対立や差別の重層性まで凝視しているのは平林たい子の特長と価値づけている所に同感した。さらに、平林は一九二四年に満州・大連に渡航している。「二 満洲という最前線」では、作品「敷設列車」の先見性を、満洲鉄道の侵略的意図と中国民族抑圧策、技術革新と能率主義など政治・経済的な事情を綿密に調べて実証している。満鉄という支配装置が形成する日本人の内面的権力も照射しているという指摘も卓見だ。「三 中国人強制連行の闇」では、「盲中国兵」は天皇制存続論議と強制連行の記憶、無関心な大衆を鮮やかに形象化した問題作で、発表日付から日本の加害責任とともに言論統制をしたアメリカの加害責任まで作品に込められているという洞察を導き出し、目を見張った。 今の時代をも抉る重要な三つの視点をあわせもつ読み返すべき作家であることを知らしめる説得力に富んだ研究書だ。(さがわ・あき=詩人)★おかの・ゆきえ=法政大学ほか非常勤講師・日本近代文学専攻。法政大大学院博士課程満期退学。著書に「女たちの記憶」、共編著に「木下尚江全集」「女たちの戦争責任」、共著に「大正女性文学論」など。