――生老病死の問題を考えるために――香川知晶 / 山梨大学名誉教授・哲学・倫理学週刊読書人2021年1月22日号揺らぐいのち 生老病死の現場に寄り添う聖たち著 者:北村敏泰出版社:晃洋書房ISBN13:978-4-7710-3407-5 本書は副題にあるように「生老病死の現場に寄り添う聖(ひじり)たち」の言葉を丹念に集めたドキュメンタリーである。ここには、現代日本における「いのち」の問題に関心をもつ人たちにとって、深く考えていくための手がかりがちりばめられている。 著者の北村はその言葉に耳を傾けた人たちを「まるで「聖」のようだ」という。「はじめに」によれば「聖とは元は、かつてこの社会で各地を遊行しながら人々に寄り添い、困っている人に救いの手を差し伸べた仏教者のことだ。彼らはコトバによる〝説教〟だけではなく、実際の行いで人々の苦に向き合った」。 本書で扱われるのはいわゆる死生学とか生命倫理とか呼ばれる領域の問題である。そのため登場する「聖」の多くは医療者や福祉・教育関係者になる。さらに本書には、宗教専門誌の連載がもとになっていることもあって、仏教、キリスト教、天理教、大本教など多様な宗教者も登場する。といっても、宗教者であること自体が称揚されているわけではない。北村自身も特定の信仰をもつ宗教者ではないという。いのちに寄り添わぬ者は医療者だけではなく、宗教者のなかにもいることは本書もところどころで触れている。しかし、現代における人間の生老病死を考えようとすれば、科学的「生命」や生物学的「命」を超えた「いのち」の次元を問わずに済ませることは不可能である。そうした「いのち」の次元がここでは主に宗教的なものに重なる形で理解されている。本書が記録する「聖」たちの言葉と行いはそうした「いのち」の次元に触れるものにほかならない。 本書は、津久井やまゆり園事件の話から「いのち」の問題を提示し、本論四章のテーマを紹介する序章「揺らぐいのちの現場から」から始まる。続く本論の第一章「生まれるいのち」は生殖補助医療、第二章「いのちを育てる」は児童虐待、第三章「いのちの教育」は少年Aによる神戸連続殺傷事件と佐世保女子高生殺害事件、第四章「死するいのち」は終末期医療を取り上げ、終章「いのちに寄り添う」に終わる。 本書の序章には、正直に言えば、やや通り一遍ともいえる記述が並び、読む意欲をそぎかねないところがある。しかし、第一章以下の本論になると、様相が一変する。第一章冒頭の出生前診断にかかわる遺伝カウンセラーの話から始まって、それぞれの記述はまさに「現場」における様々な意見を浮き上がらせ、問題のさらなる考察を迫る緊張感に貫かれている。しかも、現場の見解の多様性は常に意識される。典型は第一章が取り上げる諏訪マタニティークリニックの根津八尋医師の話で、その意見が様々な批判とともに丁寧に紹介されている(ちなみに、根津医師のクリニックは六階建てのビルでその壁面には「いのちの泉」(!)と刻まれており、職員たち用の立派な保養施設もあるという)。本書は宗教的な次元の話も含め一面的な議論に終わらぬように配慮しながら、現場の考えを伝えることに徹しており、得難い一書となっている。(かがわ・ちあき=山梨大学名誉教授・哲学・倫理学)★きたむら・としひろ=ジャーナリスト・元全国紙編集局部長。京都大学卒。著書に『苦縁 東日本大震災 寄り添う宗教者たち』など。一九五一年生。