――司法を市民の手に取り戻すために――永田浩三 / 武蔵大学社会学部教授・ジャーナリスト週刊読書人2021年5月7日号私が原発を止めた理由著 者:樋口英明出版社:旬報社ISBN13:978-4-8451-1680-5 著者は、二〇一四年、関西電力大飯原発3・4号機の運転差し止めを命じる判決を下し、さらに二〇一五年、高浜原発3・4号機の再稼働差し止めの仮処分決定を出し、大きな注目を集めた。この本は判断の背景に何があったのかを、自身の言葉でイキイキと語り、いまの日本の司法や行政について歯に衣を着せず、厳しくかつ愛情深く批判するものだ。東京電力福島第一原発の事故から一〇年、揺るがない理性と覚悟に、爽やかな風が吹きぬける思いがした。 原発をめぐる訴訟は、「複雑困難訴訟」と言われる。原発の安全性という複雑な領域に、ひとりの裁判官になにができるのか。素人は口を出すべきではないという風潮が世の中をおおう。 福島の事故の直前、大物タレントのビートたけし氏はこんなことを言っていた。「地震が起きたときは、むしろ原発に逃げ込むのが正解だったりするんじゃないか」。 実際一〇年前には、宮城県女川町の住民の一部には原発のなかに逃げた人たちもいる。 かつては著者自身も、同じように考えていた。静岡地裁の裁判官だったとき、研修のために浜岡原発内に入り、話を聴いたことがある。浜岡は東海地震の震源域にある。大地震の備えは万全に違いない。だがそれは思い込みに過ぎなかったことに著者は気がつく。 福井地裁に異動したとき、大飯原発の運転差し止めを求める訴訟が起きた。福島の事故の翌年のことだ。この裁判を受け持つなかで、著者が驚いたことがある。大飯原発は700ガルの震動で危険になり、1260ガルの揺れでお手上げになる。お手上げとは「止める」「冷やす」「閉じ込める」という原発の安全三原則のいずれかが破綻し大事故に至るということ。700ガルとは震度6の地震。ここ二〇年間三〇回以上も発生し、日本のどこで起きてもおかしくなかった。だが、関西電力はこうした地震は大飯原発の敷地では起きないので安心して欲しいと主張した。意外なことに、強い地震に耐えられるかどうかを争うのでなく、強い地震は起きないと予知できると突っぱねたのだ。これには無理があると著者は確信を持つ。専門家に絡め取られるのではなく、理性と良識によって判断しよう。そう決めた。その結果が、歴史に残る運転差し止め判決だった。 では、なぜ他の裁判官はそうした判断ができないのか。専門家の判断に異を唱えない権威主義。独立の気概の欠如。先例にとらわれて波風を立てない。被災者の身になって考えないリアリティの欠如など、理由はさまざまだ。 だが、と著者は思う。原子力行政も環境省も、国民の命や生活を本気で守りやしない。原子力規制委員会に至っては、基準に適合しているからといって、安全だとは言えないと居なおり、免震重要棟がなくても再稼働の許可を出す。そんな理不尽さがはびこる日本社会で、人格権つまり命と暮らしを守ることができるのは裁判所しかない。がんばらなくてどうすると、著者は現役の裁判官たちへ奮起を促す。「無知は罪、無口はもっと罪」と著者は言う。原発の差し止め訴訟を担当する裁判官が、原発の危険性を知らないことの責任は重いが、危険性をわかっていながら判決という権限を行使しないことの責任は重大だ。 著者の真骨頂を示す一節。「自分の信念に従った勇気ある裁判」と言われるが、「結論に迷いはなかったので判決を出すことに勇気をふるう必要もなかったのです。これだけ危険な原発を止めないという蛮勇というべきものを私はおよそ持ち合わせていません」。 元裁判官による類い稀な一冊。司法を市民の手に取り戻し、健全にするために今後も発言を続けてほしい。(ながた・こうぞう=武蔵大学社会学部教授・ジャーナリスト)★ひぐち・ひであき=元福井地裁判事部総括判事。大阪高裁判事、名古屋家裁部総括判事などを歴任。一九五二年生。