――純粋なスポーツを追い求めたその生涯――尾川翔大 / 日本体育大学助教・スポーツ政策・スポーツ史週刊読書人2021年10月1日号直向きに勝つ 近代コーチの祖・岡部平太著 者:橘京平出版社:忘羊社ISBN13:978-4-907902-28-5 岡部平太という人物は、どのような人生を送ったのであろうか。本書は、岡部平太の人間的魅力に迫る伝記である。取り上げる人物の声を聴き、その生々しい人間らしさが描かれているとき、伝記は魅力的なものとなる。本書では、科学的な根拠と直感的な先見性をもつ岡部のコーチとしての側面に着目しながら、岡部が多くの人びとと関わっていく様相を描いている。岡部は生涯に渡り周囲の人びとと、時に対峙し、時に共同し、直面する時々の事柄に対して自らの道理を貫き通そうとし続けた人物である。そうした岡部の姿を描く本書は、岡部が生涯を賭して「純粋なスポーツ」を生きた証を紡ぎ出す。 本書の主人公の岡部は、一八九一年九月一〇日、福岡県糸島郡茶屋村(現在の福岡県糸島市)に生まれた。幼少期から「やんちゃ坊主」として知られるようになり、数多くの武勇伝がある。思い立ったら行動するのが岡部であり、騒動の渦中にはいつも岡部がいた。その刹那的な純粋さは、時に人を魅了するものであり、時に衝突を生んでしまうものでもあった。岡部は、日本の体育やスポーツの礎を築いた嘉納治五郎と師弟関係を結びつつも後年に離別したし、日本の最初のオリンピアンである金栗四三と共同してマラソン選手を育てもした。さらに、「十五年戦争」の端緒とされる満州事変や戦後の福岡県の占領地をめぐるGHQとの折衝をはじめとして、広く知られる歴史の舞台にも岡部は深く関係している。そのなかで、時々の社会思想や時代潮流を血肉化し、スポーツを政治化したり、国家の意志を示す存在にもなった。 岡部のコーチとしての出発点は、東京高等師範学校を卒業した一九一七年六月、単身でアメリカのシカゴ大学に留学したことに求められる。ここで、アメリカンフットボールをはじめとしてさまざまな近代スポーツを体験するとともに、シカゴ大学のスタッグ教授から今日で言うところの「スポーツ科学」を学んでいる。ここでの学びを通じて科学的に競技力を高める方法を日本に持ち帰っている。選手の最大酸素摂取量や疲労度の測定をはじめとする科学の方法を用いて選手を育てる岡部の姿を本書は丹念に描き出す。 一方で、岡部はあまり先入観に捉われなかったために、直観的に良いと感じた練習を時代に捉われることなく取り入れる。インターバル走や高地トレーニングなど、今日広く知られており、一定の科学的有効性が認められている練習を、その名称と理解が進んでいなかった時代に実施している。本書で描かれるコーチとしての岡部の卓見から学ばれることの一つは、科学が現実の後追いということである。岡部の先見性は同時代の科学的理解の先を見透かしていたようだ。それは、実践感覚を手放さないスポーツの現場から生まれる「直観」とみなせよう。 さて、岡部がいう「純粋なスポーツ」とは一体どのようなものだったのであろうか。本書を読んでみたところ、岡部を評価することは非常に難しいことのように思う。岡部は、強固に「純粋なスポーツ」を求め続けていたのだが、岡部自身も「純粋」であるがゆえに社会の思想や時代の流れを体現してもいた。ただし、少なくとも岡部は自らが思い描く「純粋なスポーツ」を求め続けていた。人に流されたり、状況に妥協したりすることなく、言葉を発し、行動し続けていた。岡部でなければ動かなかった事柄も数多い。物怖じすることなく、正面から物事にぶつかり続けていたのである。このような岡部の生きざまに、著者は魅了されたように思うし、ある種の憧憬を抱く人がいることも確かなことではないだろうか。(おがわ・しょうた=日本体育大学助教・スポーツ政策・スポーツ史)★たちばな・きょうへい=西日本新聞メディアラボが立ち上げたプロジェクト名。