――五十年近く前の鮮明な旅の道程――大竹昭子 / 作家週刊読書人2021年12月10日号旅する少年著 者:黒川創出版社:春陽堂書店ISBN13:978-4-394-19023-3『旅する少年』とはさらっとしたタイトルだが、その内容は驚くべきものだ。表紙には唇にごはんつぶをつけて箸を運ぶ少年時代の著者の写真が載っている。髪の毛は濡れていて上半身は裸。背後に草むらと森が写っており、川泳ぎでもしたのかと思うだろうが、事実がどうだったかはいまここで明かすよりも本書の最初の章をお読みいただきたい。一九七〇年代前半のことなのに、このエピソードが告げる空気にはもっと昔、そう、大人が生きるのに精いっぱいで子どもにかまけている間がなかった一九五〇年代のにおいが漂っている。 少年はかなりハードな旅をしたようだ。「最初はこわごわだった夜汽車の旅もすぐに慣れ、駅のベンチで仮眠をとって夜を明かし、ヒッチハイクもできるようになった。寝袋を持ち歩き、夜間締め出される駅などでは軒先で眠る」 義務教育を終えた後ならばこういう旅もありうるかもしれない。ところが、最初の旅に出たのは一九七三年末、小学校六年生の年なのである。仲間との日帰り小旅行をきっかけに一人旅に駆り立てられ、時刻表を片時も離さず旅の計画に熱中するようになる。そのようにして中学卒業までの四年間、熱に浮かされたように北海道から沖縄まで全国の旅を繰り返すのだ。 その旅のひとつひとつが丁寧にたどられていくが、例えば最初の北九州の旅はこんなふうに始まる。京都の自宅を出て、京都駅着十七時二八分の急行「桜島・高千穂」に乗車する。門司駅で列車が急行「桜島」と「高千穂」に分割されるので、折尾駅で降りる彼は「桜島」のほうに乗るように注意しつつ乗り込む。折尾駅到着は翌朝七時すぎ。そこで筑豊本線に乗り換え、ローカル線で筑豊一帯を巡った。 五十年近く前の旅の道程をかくも鮮明に描けるのはなぜか。本書のポイントのひとつはここだ。当時少年は列車の切符をスクラップブックに貼って保存していた。それが最近、実家の押し入れの奥から出てきたのである。これにより、古書で手に入れた当時の時刻表と突き合わせて旅の道筋を浮かび上がらせることができたのだ。加えて少年は熱烈な鉄道ファンで、消えゆく蒸気機関車の姿をたくさんの写真に撮っていた。このネガも押入れの奥に眠っていたのがわかり、『点と線』ばりの列車の旅の本が出来上がったのである。「なぜ、あれほど旅ばかりしていたのだろうと、いまでも、思い返すことがある」と著者は書く。たしかに当時の彼には蒸気機関車を撮影するという少年らしい趣味があった。だがそれが趣味を越えて自分を外の世界に駆り立てるエンジンのようなものとして機能したのではないだろうか。旅にはなんらかの明確な方針があったほうが長続きする。自分を持て余して鬱屈することがない。つぎはあの線のあの列車を撮ろうと望んで時刻表を繰る日々が、肉離れをおこしがちな思春期の心と体を束ねたことは想像に難くない。人見知りが強いという割には旅先で知りあった人の家に泊まったり、自分よりも一世代も上の人たちと一緒に旅をしたりしている。訪ねた先の民芸や民俗について知りたいという欲求が芽生えて書物に当るようにもなる。旅で出会ったものが少年の小さな世界を押し広げていったのだった。 押入れからスクラップブックが出てこなければ、これらの文章が書かれた可能性は薄いだろう。捨てられる運命にあったかもしれないものが豊かな果実をもたらしたことに粛然となった。物としての記録が残らないスマホ時代では、もうこのように記憶がたどられることはないだろうから。 蒸気機関車を撮影したすばらしい写真がたくさん入っている。望遠レンズを使って周囲の風景とともにとられたカットは、鉄道ファンならずとも惚れ惚れ見入ってしまう。列車の方向を変える転車台を手で押して動かしている様子や、輪っかの先に小さな鞄のようなものがついた通票交換のタブレットキャリア(そう呼ぶのを初めて知った)なども懐かしさを越えて伝えてくるものがある。あの頃は人も乗り物も「体をつかって」働いていた。生きるとは、頭より先に体を使うことを意味したのだった。 評伝、近代史、小説と多岐にわたり執筆してきた著者の根っこに何が埋まっているかを知る手だてとしても貴重な一冊である。(おおたけ・あきこ=作家)★くろかわ・そう=作家。著書に『かもめの日』(読売文学賞)『国境[完全版]』(伊藤整文学賞・評論部門)『京都』(毎日出版文化賞)『鶴見俊輔伝』(大佛次郎賞)など。一九六一年生。