――やる気のないよそ者の下級役人が真心を取り戻すまで――九螺ささら / 歌人週刊読書人2021年11月5日号輝山著 者:澤田瞳子出版社:徳間書店ISBN13:978-4-19-865189-3 石見国大森代官所に、金吾という男が中間(ちゆうげん)として江戸表から赴任した。金吾はかつての上役である小出儀十郎から、代官・岩田鍬三郎の身辺を探れとの密命を受けている。しかし金吾が見るところ、岩田には何の失態もない。それどころか、岩田は穏やかで冷静ででしゃばらず、病が流行ると薬を密かに手配するなど常に民のための政(まつりごと)をしている。 金吾は仕事帰りに銀山町の飯屋に通うようになる。銀山町は銀山の掘子たちが住む町で、役人が住む大森町とは雰囲気が違う。金吾は密命の返事のネタつまり岩田の失態のしっぽが摑めるのではないかとその飯屋に通い出したのだが、通ううちに、その店で働くお春や、お春を想う掘子頭の与平次や、わずか九歳で家族を養うために働く小六などを知り、交流するうちに仲間意識を持つようになる。 読み書きも覚束ない金吾は、自分は与えられた場所で言われたことをこなしながら稼げるときに銭を貯めるしかないんだ、みんなそうなんだから、という消極的迎合的な生き方であった。しかし、気絶(けだえ)という銀山労働者特有の病により四十まで生きられないと覚悟している掘子たちは、腹を据え、限られた時間の中で懸命に己の命を燃やしている。例えば掘子頭で皆に慕われ思いやりがあり実直な与平次は、徳市で働くお春を想いながら受け入れられず、気絶にかかり見る見る痩せていく。与平次は自分の命の最後の火を燃やすために、叶わぬ想い人であるお春の密かな恋の成就を願う。お春は前の奉公先で、想い人である男の行動が失態とならぬようにと男を逃がし、男と音信不通になった。お春が銀山町にやって来たのは、ここが男の故郷であると知ったからである。お春は店に来る掘子の荒くれ者たちに過去を勘繰られてあばずれだの白首(春を売る女)だのの言葉を投げつけられながらも、いつか男に会うことを希望に耐えてきた。ある日、江戸の無宿人が故郷である銀山の町に連れ戻された。その中に、お春の想い人がいた。男とお春がどうなるかわからないまま、与平次は薄れゆく命をひきずってお春に会いにいく。お春は恋人としてではなく親密な仲間として、与平次の絶えそうな命の火を悲しみいくつしむ。 また例えば生臭坊主として馬鹿にされていた叡応は、母親が捨てた栄久という子を養っていたが、栄久が迎えに来た母親と一緒に暮らすことを拒否して銀山で障害を負った友の小六と生きることを決意したのを見て、掘子の子たちのための手習所を開くことを決意する。 金吾は、自分も小出も器の大きい岩田に泳がされているのだと気付く。そして最後には、岩田を強引に追い落とそうとしてお春の想い人を含む無宿人たちを利用した小出を敵に回して銀山の仲間と同じ立場に立つ。「やれやれ、まったく厄介なところに来ちまったよなあ」と赴任時に嘆いていた金吾は、短命を知った上で明るく直向(ひたむ)きな掘子たちに影響され文句ばかり言う己が身が情けなくなり勉学を始め、遂には自分の人生について真剣に建設的に考え始めるに至るのだ。銀山で働く掘子たちは、頻(しき)りに「畜生ッ!」「畜生ッ!」と叫ぶ。「畜生ッ!」は、全細胞が本気になった人体の叫びなのだろう。本書には、全ての感情が詰まっている。倦怠、怯え、忠誠、嫌悪、尊敬、疑惑、卑下、怒り、悲哀、恋愛、友愛、気楽、信心、親心、子心……。苛酷な労働現場である銀山のもとで、濃厚な人情が明滅を繰り返す。「畜生ッ!」と叫びながら、人々はますます人になっていく。銀山がその中身を削られ輝く銀を生み出すように、そこで生きる人々も己を削って輝く真心を生み出してゆく。 歴史学者を目指した時期があったという作者は、圧倒的な知識と文字量で物語の現場を現出させる。その凄まじいリアリティーはCGとは別回路だ。我々読者は読み始めて数行でそのリアル過ぎる現場を共に歩き、生きることになる。そしてその「歴史上の」現場は、過去などという死んだ昔の乾いたどこかではない。読者がアクセスするといつでもどこにでも立ち現れるパラレルワールド、命の輝く今という現場なのだ。(くら・ささら=歌人)★さわだ・とうこ=作家。著書に『孤鷹の天』(中山義秀文学賞)『満つる月の如し 仏師・定朝』(本屋が選ぶ時代小説大賞、新田次郎文学賞)『若冲』(親鸞賞)『駆け入りの寺』(舟橋聖一文学賞)『星落ちて、なお』(直木賞)など。一九七七年生。