――歴史叙述の形で尚続く抵抗と日本語訳出版の意義――楊海英 / 静岡大学人文社会科学部教授・文化人類学週刊読書人2021年1月1日号ナクツァン あるチベット人少年の真実の物語著 者:ナクツァン・ヌロ出版社:集広舎ISBN13:978-4-904213-98-8 歴史は世界中どこにでもあるというのではなく、地中海世界と中国に起源があった。他の地方には地中海型か、中国型しかない、とある歴史家の名言である。 地中海型は国家の興亡を定めなき運命の変転として淡々と記述するのに対し、中国型は皇帝の権力の起源と、その政権が如何に正統に確立され、受け継がれたかの由来について論じる。正義は常に皇帝側、権力側にあると主張する。皇帝以外はすべて匪賊。匪賊の行動は反乱で、正統性は一切、付与されることがない。 この二つの型の歴史は、ユーラシア大陸の東西という地域によって区画可能である。本書は正に地中海型のチベットと、自らの正統性を有史以来に一方的に強調して止まなかった中国型との衝突を物語っている。具体的には独立国チベットが一九五〇年代に中華人民共和国に併呑されていくプロセスについての記述である。 著者はチベットを成す三大地域の一つ、中国に近いところのカムに生まれた。幼少時に母を失い、その遺体を切り刻んで鳥に食わす葬式についても人間の輪廻として鮮明に記憶している。それでも父と兄、それに親戚と村人に手塩にかけて育てられて牧歌的な草原で幸せに暮らした。聖地ラサへの巡礼途中は、幼児を抱えた若い母親が狼の群れに襲われて死んでいく事実に出くわしながらも、そこに絶望感はない。生命の長短に関係なく、人間はみな誰かの生まれ変わりで、死後にはまた転生していくという成就の哲学が身体に沁み込んでいるからだ。チベット人なら誰もが僧を敬い、寺院に寄進し、聖地に巡礼して一生を送る、哲学に生きる民族であった。 チベット人の生き方は中国共産党から完全に否定された。万人が平等に所有してきた草原は土地で、「均等に分配」しなければならない。僧侶は「搾取階級」で、「労働人民」の手で叩き殺さなければならい。そのような外来の見解が受け入れられる素地はなく、抵抗に発展する。 立ち上がったチベット人を「中国軍は人と家畜を一緒に殺した」。というのも、正義はあくまでも国土を世界の屋根にまで開拓しようとする中国側にあるからだ。新しい「皇帝」毛沢東の正統性を確立しようとする共産党は「正義の軍隊」で、蜂起したチベット人は「反乱軍」だと断定された。本書の解説者の研究によると、中国側が投入した侵略軍は二〇万で、戦死者は一五〇〇人。征服された側は数十万人から百万人の人口を失った。 以上のような歴史を中国型で語ると、「ヨーロッパの中世よりも暗黒な、反動的な政教一致の政権下で喘いでいたチベット人を解放した」という。一方、著者は十歳の時に「叛乱分子」として戦った父親を中国軍に眼前で射殺された。その後は、「全ての囚人は後ろ手に縛られ、三十人毎に綱で繫がれた。女達も同じように扱われた」一員として虜囚生活を送った生き残りである。成人してから中共の幹部にもなるが、中国型の歴史的人間にはならなかったので、本書は誕生した。チベット人の抵抗は単に武装闘争を通してではなく、歴史の叙述の形でも尚続いているところに本書の意義が認められよう。 評者は以前に自著で内モンゴル自治区のモンゴル軍騎兵が中国のチベット征服に加担した歴史を地中海型のつもりで描いた。モンゴル騎兵の将校は日本の陸軍士官学校卒が多く、作戦命令も日本語で書かれていた。そういう意味で日本も間接的にではあるが、ユーラシア大陸における二つの類型の歴史の衝突に関わっているので、本書の日本語訳の出版は重要である。(棚瀬慈郎訳・阿部 治平解説)(よう・かいえい=静岡大学人文社会科学部教授・文化人類学)★ナクツァン・ヌロ(NaktsangNuro/納倉・怒羅)=チュマル県人民法院副院長、チュマル県副県長などを歴任。一九四八年チュカマ(現中国甘粛省甘南チベット族自治州瑪曲県斉哈瑪)生。