――ジェンダー文化論の視座から――和佐田道子 / 作家・翻訳家・文学研究者週刊読書人2021年7月2日号白石かずこの世界 性・旅・いのち著 者:水田宗子出版社:書肆山田ISBN13:978-4-86725-007-5 詩は風のようだ。あ、いい風、と頬に感じる清々しさのように、よい詩に出会うと、あ、いい詩だ、とただただ思う。だから、詩作をせず、詩を読むだけの者にとって、詩とは感じとるものであって、論じることは難しいと思っていた。そもそも、詩人の前では畏縮してしまう。私など出身の三田文學で同席する機会を得ると、その詩を感じた時の総てが訪れ、うまく言葉にできない。多田智満子さんと会った時も同じで緊張のまま「つれあいが」という凛とした声を耳にした事が、私のフェミニズムへの発端だと思っていた。けれど、白石かずこさんと「長い詩友」という著者が上梓した本書で、知らずしらず、少女時代から白石さんの詩だけでなく、絵本や童話、女性の生き方や音楽、映画に関するエッセイ、翻訳から、その意識を既に見知っていたと気づいた。先ず森茉莉の推薦文「白石かずこと私との出會ひ」が掲載された白石さんの本の著者紹介に「Jazz、Soul、宇宙の銀河系、気ままな旅」と好きなものを挙げた白石さんに憧れ、西脇順三郎、寺山修司等多彩な人々が登場する『黒い羊の物語』『詩の風景・詩人の肖像』では、大らかな言葉と人生に魅了された。そんな一読者にとって、本書は女性学の先駆者であり、比較文学者、詩人でもある著者がジェンダー文化論という視座から白石の詩業に焦点を絞り、その精神と表現の道程について深い洞察を重ねた労作であり、刮目に値する。 詩を解読する、という離れ業に挑んだ著者独自のアプローチは、白石かずこの詩表現を「二十世紀の女性表現の一つの頂点」と断定して出発する。とりわけ、日本の現代詩を戦後というキーワードで概観し、米文学者、比較文学者という立場からT・S・エリオット『The Waste Land』からA・ギンズバーグ『吠える』を通観し、ビート詩人に大きな影響を受けた白石が女性ペルソナの語りの形成を経て戦後女性文学の鮮やかな出発点をもたらした、とする。とりわけ著者が強調するのは、白石の詩「My Tokyo」がエリオットの『The Waste Land』に匹敵する日本の戦後詩の重要なテキストであり、更にエリオットの男性主体とは異なり、フェミニズム思想内で相反する「産む性礼賛」「産む性からの解放」を一つに結びつける表現空間の創出こそが、後続の女性詩人たちを含めた戦後女性詩のカノンになり得ている、という点である。同時に、著者は二十世紀後半の性差概念の変容を指摘しつつ、『聖なる淫者の季節』に依拠しながら、白石が追求した性的生き物を慈しむ性思想と、命あるものへの野性の姿として肯定する「いのちの原風景」の思想の可能性を提示し、やがて白石が野性としての性的存在から『一艘のカヌー、未来へ戻る』で世界へペルソナの旅に出、その旅の終着点としての砂の発見、砂という極微小なものへと還元されるいのちを表現した『砂族』へと繫がっていく過程を詳らかにした。加えて、白石の動物詩における動物は、女子供や高齢者、亡命者や難民と同様、男性主体の構造から排除されてきた「はぐれもの」であり、著者は富岡多惠子による「はぐれものの思想」を援用しつつ、白石自身が常に弱きものたちへの眼差しを注ぎ続け、女性ユリシーズとしての自由な女性の生き方を実践し、戦後女性詩の立役者として、性差と表現に関して明瞭な指標を示した、と結論づけている。先鞭をつけた本書に続き、詩と共に朗読やジャズ、映画等、更に多様な白石論が書かれることを期待したい。何より、今後も国内外の若い世代に白石作品が読み継がれていくことが望ましい。 米国在住当時から白石をはじめ富岡や大庭みな子ら表現者との交流を通じて重要な役割を果たした著者の、同時代を生きた詩友ならではの深甚な思索を読了し、白石作「詩における性のイメージ」を再読すると、冒頭は「詩は、ほとんど性だといってよい。そのようなところから、わたしとわたしの詩は出発した」、末尾の一文は「非常に長生きをしたい。どうしても七十歳や八十歳まで生きて、人生の夕陽をみたいと思うのは、性で出発した人間としての性の終焉の景色を眺めなければ、詩人としてのわたしの仕事も中途半端、ほんとうに性と詩のまったきかかわりあいを、end of the lifeまでしてこそ、詩も、わたしも、満足というものである」とある。ふと気づくと、本書の装丁のカバー写真は、美しい柑子色の空である。白石さんの詩と人生を語る文章そのものと思って奥付を見ると、その写真は娘さんの白石由子さんによるものだった。感染症流行下で旅もままならない今、著者が辿った本書に広がる白石さんの詩世界と、装丁に浮かぶ清澄な風景に、深呼吸をさせてもらった気分である。(わさだ・みちこ=作家・翻訳家・文学研究者)★みずた・のりこ=比較文学者・詩人。著書に『詩の魅力/詩の領域』『大庭みな子 記憶の文学』『モダニズムと〈戦後女性詩〉の展開』など。編著に『富岡多惠子論集「はぐれもの」の思想と語り』など。一九三七年生。