――長年の活動で辿り着いた人生の総決算――松永正訓 / 小児外科医・作家週刊読書人2021年10月22日号立花隆 長崎を語る 長崎が生んだ「知の巨人」追悼と鎮魂、そして人類著 者:長崎文献社(編)出版社:長崎文献社ISBN13:978-4-88851-366-1 立花隆さんの訃報に接し、悄然となって書斎の本棚を見上げた。これまで何十冊の本を読んできただろうか。晩年の立花さんは盛んに死について語っていたので、人生の最終段階を自分なりに整理していたのかもしれない。しかし読者としては何とも大きな喪失感にとらわれる。そんなとき、二冊の新著と出会うことになった。『立花隆 最後に語り伝えたいこと 大江健三郎との対話と長崎大学の講演』は単行本未収録原稿集なので、本の全体としてのパッケージングはやや据わりがよくない。前半は晩年の長崎大学での講演録がメインで、後半はソ連崩壊直後の一九九一年に行われた大江健三郎氏との対談である。 長崎大学での立花さんは、核兵器の残虐性について学生に語りかける。次世代へのメッセージだ。ただそのメッセージは一方的なものではなく、聴く者に考えることを求めている。そして、立花さんは核兵器を必要と考える市民や政治家が世界には存在することを敢えて述べる。 また、画家の香月泰男氏の言葉を引用し、「赤い屍体」と「黒い屍体」について述べる。「赤い屍体」とは敗戦直後に、日本人が満州人に私刑にあって、皮を剝がされて赤剝けになった屍体のことだ。一方、「黒い屍体」とは、原爆投下によって黒焦げになって死んでいった日本人の屍体のことである。 日本の反核運動はどうしても加害者の視点を欠きがちである。アメリカから見た原爆とは何か、東アジアから見た侵略戦争とはどういうものか、それを学生に問題提起している。こうした戦争の見方は決して新しいものではないが、今の時代でもきわめて大切なものである。そうした基本的なことを学生に問うてみたかったのだろう。 そしてこういう助言も与える。「運動なんて九九・九%は失敗する。しかしあきらめずに負け戦を続ける。継続こそが力」であると。継続が力というのは、立花さんの文筆活動に通じるものがあるのではないだろうか。そして失敗を恐れるべきでないというメッセージが、自身の生き方に重なる。 立花さんの原点は、大学生のときにイギリスで開かれた「国際学生青年核軍縮会議」にあった。この会議に参加しカルチャーショックを受けた立花さんは、日本の六〇年安保の政治思想の強い平和運動から離れていく。自分自身の中に羅針盤を作ったのだろう。これがのちの作家としての基本になった。そして晩年の立花さんは、生まれ故郷でもある長崎に戻り、もう一度核と平和の問題について思索を深めた。つまり原点に回帰したのだ。 大江健三郎氏との対談は、ソ連崩壊後の世界についてグローバルな視点で語っている。人口問題、南北問題、中国問題について議論を深める。しかしもっとも二人が熱く議論を交わしたのは環境問題だった。確かに当時も環境問題は大事な課題であったが、現在ほど巨大なテーマにはなっていなかった。ソ連の崩壊直後に環境問題こそが世界で最大の問題と論じ切るところに二人の時代を読む力が見てとれる。 立花さんは『脳死』、『精神と物質』、『臨死体験』で狭い入り口を深く掘り下げることで、生命の神秘と本質に関して広大な世界へわれわれを連れて行ってくれた。一方、大江氏との対談はそれらとは対照的に地球規模の問題提起を示してくれた。こうした深く、あるいは広い考察が立花さんの最大の魅力である。『立花隆 長崎を語る長崎が生んだ「知の巨人」追悼と鎮魂、そして人類』は、長崎で語った戦争と平和の問題、あるいは脳の進化についてまとめた講演録や原稿だ。二〇一〇年からくりかえし長崎を訪問した立花さんの、生地への思い入れに溢れている。内容的には『最後に語り伝えたいこと』との重複もあるが、それは当然であろう。 晩年の立花さんが長崎の地で学生にラストメッセージを伝えたというのは、地球という母なる惑星を守ることができるのは、次世代の若者しかいないと考えたからだろう。それはもしかしたら、長年の著作活動で辿り着いた人生の総決算のようなものだったのかもしれない。 また、二つの本ともに、解説や関係者の寄稿が充実していることも強調しておきたい。とくに『最後に語り伝えたいこと』の保阪正康氏の解説は読み応えがあり、胸に迫るものがある。最後の一年は従容たる思いで死を迎え入れたのだろう。『長崎を語る』によれば、墓は作らず、樹木葬だったらしい。 巨星、墜つ。そして本が残った。これからも読むだろう。(まつなが・ただし=小児外科医・作家)★たちばな・たかし(一九四〇-二〇二一)=ジャーナリスト・ノンフィクション作家・評論家。著書に『日本共産党の研究』『宇宙からの帰還』『サル学の現在』『臨死体験』『死はこわくない』『サピエンスの未来』など。