――住んできた家をつぶさに追う――伊藤和弘 / ライター週刊読書人2021年7月2日号文豪たちの住宅事情著 者:田村景子(編著)出版社:笠間書院ISBN13:978-4-305-70939-4 住む場所というのは生活の基本だろう。東京にいるのか地方にいるのか、マンションなのか一軒家なのか、洋館なのか和風家屋なのか。どんな家で暮らしてきたかは人格形成に大きな影響を与えるし、住んできた家を語ることはそのまま人生を振り返ることに繫がる。著名人が住宅遍歴を語る「週刊文春」の『新・家の履歴書』は、すでに七百回を超える人気連載となっている。 本書はその「住んできた家」を中心に、一八六二年生まれの森鷗外から一九三五年生まれの寺山修司まで、明治から昭和に活躍した三十人の文豪の人生をたどっていく労作だ。著者は和光大学准教授の田村景子と、その後輩に当たる早大文学部出身の三〇代の研究者たち。多くの史料から文豪たちの住宅事情を詳しく調べ、列伝としても立派に通用するものになっている。 住所の調査は驚くほど細かい。例えば三十年の短い生涯で三十回以上転居を重ねた中原中也。豊多摩郡中野町中野桃園三三九八、同代々幡町代々木山谷一一二、四谷区花園町九五、鎌倉町扇ヶ谷一八一など、十七歳で上京してから住んだ十六ヵ所の住所を一つずつ明記しながら、そのときどきの事件やエピソードが紹介される。引っ越しの回数は異様に多いが、独身時代はほとんど豊多摩郡(東京西部)から出なかったこともわかる。 医者の長男として生まれ、親の期待に背きながらも溺愛されて育った萩原朔太郎。上京と帰郷を繰り返す軌跡から、故郷・前橋に対する濃密な愛憎がうかがえる。 愛人と心中した太宰治は「どこに住んでも同じことである」とうそぶき、衣食住にまったく興味がないと公言していた。 対照的に家に強いこだわりを持っていたのは『陰翳礼賛』の谷崎潤一郎だ。関西移住後の一九二八年、武庫郡岡本の土地四五〇坪を買い取って自身の設計で新築した家はあまりに出費がかさみ、四年で手放すことになった。 夏目漱石が生涯借家住まいだったと聞けば意外に感じる人も多いだろう。あえて借家を選んでいたわけではなく、単に経済的な理由らしい。多くの文人が集まった早稲田の漱石山房さえ借家で「巨万の富を蓄えたなら、第一こんな穢い家に入っていはしない」と『文士の生活』で言い放つ。作品は今なお売れているが、生前はそれほど裕福ではなかったようだ。 江戸川乱歩は高田馬場に下宿「緑館」を開業し、その別棟を書斎としていた。昭和初期の円本ブームで一円の小説が十六万部売れ、その印税でアパート経営に乗り出したという。おどろおどろしい作風に似合わず、意外に堅実な性格をしている。 芥川龍之介は生後八ヵ月で母の兄に引き取られた。後に結婚し、最後に自殺するまで伯父夫婦との同居を続けていたのは、彼らに深い恩義を感じていたせいかもしれない。 根岸の家で早すぎる晩年を送った正岡子規にとって、病床から見える二〇坪の庭が世界のすべてだった。そこには森鷗外が持ってきた百日草や洋画家の中村不折にもらった葉鶏頭が植えられ、弟子の高浜虚子は障子戸を透明なガラス障子に替えて子規を喜ばせた。 ナメクジだらけのバラックで生まれ育ち、成績優秀だったのに高等小学校しか行けなかった松本清張。不惑を過ぎてからデビューすると、五一歳で作家部門ナンバーワンの高額所得者に成り上がり、浜田山に豪邸を建てた――。 誰もが知る文豪たちにも生々しい生活があった。その住宅事情をつぶさに追った本書からは、私たちと同じように毎日の些細な出来事に一喜一憂し、多くの悩みを抱えながら創作活動を続けた文豪たちの知られざる「素顔」が見えてくる。(いとう・かずひろ=ライター)★たむら・けいこ=和光大学准教授・近代・現代文学と能楽。著書に『三島由紀夫と能楽 「近代能楽集」、または堕地獄者のパラダイス』、監修本に『文豪の家』『文豪の風景』など。一九八〇年生。