――学魔一流の超絶技巧、翻訳上の豪胆な冒険に慄然(びび)る‼――下楠昌哉 / 同志社大学文学部教授・英文学週刊読書人2021年3月19日号ガリヴァー旅行記 英国十八世紀文学叢書2著 者:ジョナサン・スウィフト(著)、高山宏(訳)出版社:研究社ISBN13:978-4-327-18052-2「明らかにしようとしているのはヨーロッパ人とは何か」「これからいろんなものを罵倒してゆく」。四半世紀前に某学会の講演で耳にした訳者の肉声が甦る。アイルランドに生まれ、十八世紀イングランドの政界で活躍の後、ダブリンのセント・パトリック寺院の首席司祭を務めつつ(亡骸は今も当寺院の床下にある)、あらゆるものを罵倒しまくった辛辣の人ジョナサン・スウィフト。その代表作である『ガリヴァー旅行記』には、すでに名訳が複数ある。けれども、英国十八世紀叢書を完結させる、学魔こと高山宏訳が出たとなれば、どのような形であれその謦咳に接した者からすれば、待ってましたと快哉を叫ぶしかない。ほぼ三百年前の英文の翻訳のはずが読書の快感に身を委ねながらするすると読めるにもかかわらず、読者の不勉強をこてんぱんにする学魔一流の訳語の選択が随所に施され、まさに「生理的で知的なんていうものはいくらでもあり得る」(巽孝之との対談『マニエリスム談義』)を地でいっている。 超絶技巧を凝らした翻訳は、柳瀬尚紀の『フィネガン辛航記』のように訳者自身の解説が読者垂涎の読み物となるものだが、『ガリヴァー』高山訳も例外ではなく、翻訳そのものに付された図版満載の「訳者解題」は言うに及ばず、訳者自身によるもう一つの「解題」が、評論集『アリスに驚け』でも読める。訳書収録の解題からこの「神」訳の主要特質と思われる点を引くなら、「文語脈と口語脈が自由に交錯することで却って新旧錯綜時代に見合う交雑文体」であること、英文学の風刺の古典として評価の固まっている『ガリヴァー』を「『驚異』という古典古代以来のマニエリスム感覚表現……の左右全音域を……たった一冊で奏で切」った作品として欧州感覚史・芸術史・科学史・観念史の中に置き直した批評的意義となるだろう。『ガリヴァー』は江戸時代ごろの船医が執筆した設定となっているので、例えば巨人国での宮廷言葉をガリヴァーが習得すれば、文体はそれにふさわしく古語が増え、格調高くなる。訳者の御稿は今でも手書きであるようだが、ある漢字は電子辞書収録の漢和辞典には収録されていなかった。それでいて、えいやっとばかりにオノマトペや体言止めが多用され、訳文は常にリズミカルで歯切れ良い。アイルランド文学にはスカトロジックな糞尿塗れの伝統があるが、その代表格たる『ガリヴァー』の語り手は読者を退屈させないように滞在記の細部を省いても、自然に関わるこの部分は決して省かない(この書評も省かない)。そうした部分をカラッと読めるのも、訳文が極めてクリスプであるからだ。 翻訳上の豪胆な冒険には、こちらが慄然(びび)る。「神対応」や「黒運命」といった訳語によってこの翻訳がなされた時代の言語的マーキングが施され、進化論にはるかに先行したこの作品であえて「退化」という訳語を使って、富山太佳夫が指摘した(『『ガリヴァー旅行記』を読む』)、ホロコースト抜きにして読めなくなったヤフー殲滅のくだりを際立たせて見せる。その他にも馬を敬って驚く話や、名状し難い恐怖、ジャパンにワンダー、パースペクティヴや普遍言語の話などもしたいが、紙幅が尽きた。馬留守(ばるす)!という気分だが、ぜひ読者各々が高山『ガリヴァー』に勇躍分け入って、知的にぶちのめされていたただきたい。 今回の書評を書くにあたって多くの先行訳、関連図書を紐解いた。なんという至福の時間。由良君美『椿説泰西浪漫派文学談義』の学魔のあとがきに行き当たり、ミソ・ウトポスで口角泡を飛ばし酒を酌み交わす、学聖たちの饗宴を遠くから仰ぎ見ている自分を妄想した。妄想ついでに書いてしまうと、学魔訳が出てモンキー訳が進行中というからには、次に切望するのは、ご自身のご意向は存じあげないが、四方田犬彦訳『ガリヴァー』である。知の大人(たいじん)たちの宴が、いつ果てるともなく続きますように。(しもくす・まさや=同志社大学文学部教授・英文学)★ジョナサン・スウィフト(一六六七―一七四五)=アイルランド生れの英国十八世紀を代表する作家。『控えめな提案』『書物合戦』『桶物語』などの作品がある。★たかやま・ひろし=東京都立大学、明治大学を経て、現在は大妻女子大学副学長。著書に『アリス狩り』シリーズ、『見て読んで書いて、死ぬ』『近代文化史入門』『トランスレーティッド』など。訳書多数。「学魔」と称される。一九四七年生。