――哲学とは研究対象であるまえに、生きた思想である――澤田直 / 立教大学教授・フランス哲学・文学週刊読書人2021年12月31日号・2021年12月24日合併竹内芳郎著作集 第1巻著 者:竹内芳郎出版社:閏月社ISBN13:978-4-904194-51-5 五〇歳以下の人たちにとってはどこかでぼんやりと耳にした名前、あるいはメルロ=ポンティの訳者として目にしたことがある存在かもしれない。一九二四年に生まれ、二〇一六年に死去した竹内は実存思想や現象学をフィールドとした哲学研究者であり、マルクス主義の読解に取り組み、日本の現実の変革を論じた論客であり、『ポスト=モダンと天皇教の現在』などの著作を通じて、日本社会の根底にあり、私たちのうちに潜む天皇制を指弾しつづけた独自な思想家である。『国家の原理と反戦の論理』、『言語・その解体と創造』、『国家と文明』『文化の理論のために』、『具体的経験の哲学』、『意味への渇き』など竹内が世に問うた著作は少なくないが、それらが全六巻(+補巻)の形で復刊されることになった。 ぼくにとっての竹内芳郎はまず何よりもサルトル研究の先達である。竹内は、本全集の監修を務める鈴木道彦、海老坂武とともに、そして加藤周一や平井啓之とともに日本におけるサルトルの翻訳紹介と研究の重要な一翼を担った。竹内の思想の原点となったサルトル思想との出会いを本人は次のように記している。「「一方では生々しく吐息するこのいのち、他方ではあらがねのように非情な論理体系、相反するこの二つが完全に結合したとき、ぼくははじめて満足する」――わたしは一九五二年三月一日の日記にこう書き留めておいた、そのようなわたしの根源的な欲求にまさにぴったりした書物として、五三年の夏にサルトルの『存在と無』なる大著に〈出会った〉のであった」。(『実存的自由の冒険』) こうして若き竹内が二年余りを費やして書き下ろしたのが、彼の第一作であり、全集第一巻に収録された一九五五年刊行の『サルトル哲学序説』(初版時は『サルトル哲学入門』)だった。当時はいまだ『存在と無』の邦訳が出ておらず、この本格的なサルトル入門は多くの読者に歓迎され、出版社を変えて二度にわたって再版され、版を重ねた。注意深い読者は気づくことだろうが、じつはこのサルトル入門、きわめて特異な本である。「はしがき」の付された再版ではなく、初版の『サルトル入門』では、序論をかなり読み進めても、サルトルの名前も著作名もまったく出てこないのだ。今回の全集版で言えば、初出は四四頁、それも注においてであり、じつに三〇頁ものあいだ、サルトルご本人は不可視にとどまる。これは「憑依的」とでも呼ぶべき特異な文体のためであり、最初から最終章の直前まで、竹内とサルトルの区別がほとんどつかない形で記述が進む。そのため読者はサルトルから直接、話を聞いているような気がする。なぜ竹内はこのような書き方をしたのか。それは本人の言葉を借りれば、彼の営為が、「〈西欧思想研究〉ではなく〈西欧思想体験〉だった」ためであり、サルトル思想を通して、「日本的現実」と闘おうと考えたためである。とはいっても、内容は、単なる印象論や自己陶酔からはほど遠い、きわめて堅固な読解である。自由の哲学であるサルトルが必然的に世界へとかかわるアンガジュマン思想へと展開することを竹内は素描する。一九五五年の時点で、前期のサルトルの思想の全体像をその問題点も含めて余さず描いた手腕はみごとと言うしかなく、その後も長く参照される文献であり続けたのも頷けるし、その基本的な論点はいまも色褪せていない。もうひとつの収録作品『実存的自由の冒険』は彼の第一論文集で、ニーチェ、ベルクソン、サルトル、マルクス論を収めているが、いずれも若き竹内の西洋思想との格闘の記録である。再版時に付された、初版時を回想する解題2「わが思索のあと」は、いわば竹内の知的自伝であり、自己を語ることの多くはなかった思想家の内面だけでなく、戦後の哲学徒の知的営為を知るためにも第一級の資料となることはまちがいない。 サルトルに少しでも興味を持った人で、竹内の仕事の恩恵に与っていない人は皆無だろう。ご多分に漏れず、ぼくも卒論を書くとき、筑摩叢書版『サルトル哲学序説』を傍らに置いていたことを思い出す。そのとき、竹内が与えてくれたのは単なる解説や情報以上のなにか、気迫のごときものだった。「わたしにあっては、その主たる思想的関心であった実存主義にしてもマルクス主義にしても、それらははじめからつねに日本的現実との対決のなかで主題化されていたわけであり、そこから両思想にたいするわたしの特殊な把握の仕方もしょうじてきた」と竹内は言う。 サルトルとの関係で言えば、単なる研究対象とはせず、想像上の対話相手、アイデアを提供してくれる道具箱(単に利用するという意味ではもちろんない)として長年にわたってつきあった点に特徴がある。言い換えれば、全力で格闘する敵手であると同時に同志でもあるような存在であって、単なるテクストからはほど遠い存在だった。だからこそ、竹内はサルトルを崇めたり、その片言隻句を鵜呑みにしたりすることはなく、少しずつ批判的な距離を取れるようになり、みずからの翼で飛ぶことになる。 七〇年代、構造主義、ポスト構造主義思想が日本に入ってきたころ、竹内はフランスの流行思想をファッショナブルに紹介したり、縮小再生産して業績作りに専念したりする風潮を痛罵した。そして、新しい思想をサーベイしながらも我が道を歩み続けた。一九八九年以降は、言論界を完全に見限り、〈討論〉による思想形成を通じて民主主義を学習していく場として討論塾を立ちあげ、二百人を超える人びととの文字通りの真剣勝負を続けた。 竹内が最も嫌ったのは、事なかれ主義、相手への迎合でお茶を濁すことだった。そのため、彼の議論はおそろしいまでに苛烈だった。作家の野間宏や、吉本隆明との論争では舌鋒激しく、相手を攻め立てた。そこにはみずからの立場へのほとんどルソー的な確信が見てとれるが、私心や日和見的な態度とは無縁であり、ある種の爽やかさもある。 哲学とは研究対象であるまえに、なにより生きた思想であり、それを忘れては精緻な研究も本末転倒だと思っていた学生のころのぼくにとって、竹内の知的態度は心の支えとなるものだった。だが、いまやアカデミックな哲学研究は、そのような熱意をほとんど失ってしまったように見える。その意味で、竹内のサルトル論は学問の本道であり、本物のもつ力強さをもっていまなお読む者に迫ってくる。今回このみごとな装幀のうちに収められた二作を再読して、青臭かったけれどもすべてに真摯だった、いまの自分とは真逆な二〇代後半の自分に再会したような気がした。竹内は真摯さと、永遠の書生のような気概を最後まで保ったように思う。生身の竹内に出会ったことはないけれど、討論塾の塾報などを読むと熱気が活字を通して伝わってくる。この全集は、竹内という破天荒な思想家の全貌を明らかにするだけでなく、彼が全身全霊で闘ったあの時代の日本の現実を改めて検証することにも裨益するにちがいない。絶版になっていた竹内の著作に若い人びとが出会うきっかけを作った閏月社の反時代的な心意気に敬意を表したい。(さわだ・なお=立教大学教授・フランス哲学・文学)★たけうち・よしろう(一九二四―二〇一六)=哲学者。東京大学文学部卒。著書に『言語・その創造と解体』『意味への渇き』『サルトルとマルクス主義』『国家と文明』『文化の理論のために』など。