渡部昌平 / 秋田県立大学総合科学教育研究センター准教授・キャリアカウンセリング・キャリア教育週刊読書人2020年10月23日号関係からはじまる 社会構成主義がひらく人間観著 者:ケネス・J・ガーゲン出版社:ナカニシヤ出版ISBN13:978-4-7795-1423-4 本書は二〇〇九年に出版された書籍の邦訳で、五〇〇ページ超の大部なのに従来のガーゲンの書籍と同様に縦書きで小さな文字がたくさん並んでいます。ただ本書は従来の観念論・抽象論あるいは難解な専門用語で書かれた理論書と異なり、例示も含めて平易な日常語で書いてあるという印象を持ちました。従来の書籍が理論家・研究者向けの必読書だとしたら、今回は(厚さを除けば)「そうでない人」(私のような実践家)にも読みやすくなっているように思います。ガーゲンは二〇〇六年に大学を退職しているそうですから、一線を退いた後に書いた一冊ということになります。 理解の助けのために、前段で簡単なご説明を。ガーゲンは一九三五年にアメリカ南東部(東海岸)のノースカロライナ州で生まれ、イェール大学を卒業後、父親(デューク大学の数学者)の希望に従って海軍に進み、最終的にデューク大学で博士号を取ります。博士論文の指導教官はIngratiation(説得力と微妙な媚によって自分を認めさせ、愛情を得る行為)の研究で知られるEdward E. Jonesです。ガーゲンの初期の研究は「首尾一貫した自己」。本書でも「自己とは何か」というテーマが根底に流れています。のちに彼は著書の中で生涯発達研究の安定説・段階説あるいは予測可能性を否定的に紹介しています。その後一九七三年に「歴史としての社会心理学」という論文を出して実証・経験主義的アプローチに対する不満を訴え、社会背景も人間も変化するのだから社会心理学は歴史として事実を積み重ねることはできないと主張します。ここから彼は、人の理解度は周囲との関係性の中に生まれ、「何が真実か」も関係性の中で理解されると考えます。これを個人的に意訳すると「だからカウンセリングの際には、クライエントの歴史を聞き、人間関係を聞かないとできない」となるし、「個人個人の価値観が違って当たり前なのだけど、その価値観を理解するためには個人の歴史や人間関係を聞かなければ理解に近づけない」ということになるのだろうと思っています。 ガーゲンは他にも「心の病が語られるようになると、社会が弱化する(言葉が使われたほうに現実が向かう)」とか、あるいは逆にPositive aging(老いをネガティブにとらえずに成長と強化の期間と捉えることもできる)とかTransformative dialogue(対話的な実践は、対立している集団の壁を溶かす)などの概念も説明します。社会構成主義自体は中立的な概念であり、本人がどういう言葉を選ぶかは歴史や文化等に依存し、またどういう言葉(意味)を選ぶかによって受け取り方も変わるし、関係性も変わってくるということだと個人的に理解しています。 ここから本書の解説を。本書では、近代的合理主義・啓蒙主義あるいは「境界を持つ個人」という考えに対する批判から始まります。本書が特に良いのは「なぜガーゲンがその考えに至ったのか」をガーゲン自身が(例えばイェール大学では悲惨だったとか、軍隊が一番嫌いな組織だったとか、大学院の後半で誰と一緒に研究したとか、ハーバード大学で教えていた時にヴィゴツキーの研究に出会ったとか)具体的に解説している点です。ガーゲンは「境界を持つ個人」という考え方は言語が作り出した状態であり、分断と孤立をもたらすとします。関係こそがすべてのはじまりであり、すべては協同的に創造される、とします。しかし非生成的な関係のプロセスと生成的な関係のプロセスがあり、前者は協応行為を蝕み、終わらせるとします。ガーゲンは続けて(一)心の言説の起源は人々の関係にある(二)心の言説は関係のために機能する(三)心の言説は関係の中の行為である(四)言葉による行為は協応行為の伝統に埋め込まれている、とします。協応行為を蝕むプロセスに対しては(一)現実を再構成する(二)メタの視点(三)感情の置き換え(四)劇場の視点、が効果的とします。他にも変幻自在的存在(ダグラス・ホールの影響?)が関係を発展させるであるとか、正義の社会秩序や外部との関係の抑圧などが分断をもたらすことを説明し、「バリケードを乗り越えること」を提案します。紙面の都合上、詳細は省きますが、議論は対立の解決から研究・教育・セラピーそして組織へと進み、組織の活力はメンバーが「やりとりに参加すること」だとします。積極的な参加を促す手段の一つが肯定(アファメーション)であり、組織の協同的な意思決定が重要だとし、リーダーシップよりも関係的主導を勧めます。 こうしてみると本書は、社会構成主義というメタ理論の解説から一歩踏み出して、「個人を境界として分断してはならない」「肯定から始まる関係性を重視せよ」「組織における個人の居場所を確保せよ」という社会正義論・教育ガイダンス論と言ったほうがいいのかもしれません。もともと従来の社会科学への批判として社会構成主義を唱えていたものが、本書では具体的に対立の解決や研究・教育・セラピー・組織の在り方を提案しているように見えます。 本書を読み終えた読者は、何を感じるでしょう。訳者は訳者あとがきで「少し物足りなさを感じる読者もいるかもしれません」「具体的に明日から私たちはどうふるまえばよいのかについて、明確な答えを示してもらえていない」としていますが、そうでしょうか。「あなた自身の自己概念について、周囲との関係性を踏まえて、改めて考えてみませんか」「あなたは今、幸せですか。利己的にでなく、周囲の人とつながっている実感はありますか」という問いかけかもしれません。あるいは「本書を読んでからガーゲンの過去の著作を改めて読み直すと、今度こそ理解できるかもしれませんよ」かもしれませんが、ガーゲンの著作の厚さや用語の難解さに負けて、なかなかそういう気が起こらないのです。(鮫島輝美・東村知子訳)(わたなべ・しょうへい=秋田県立大学総合科学教育研究センター准教授・キャリアカウンセリング・キャリア教育)★ケネス・J・ガーゲン=ペンシルバニア州スワースモア大学名誉教授・社会心理学者。イェール大学心理学部卒。社会構成主義の第一人者として数多くの著作を発表。著書に『あなたへの社会構成主義』『社会構成主義の理論と実践』など。一九三五年生。