――多声的史料の提示によって描き出す――早尾貴紀 / 東京経済大学教授・ディアスポラ研究・移民・難民問題週刊読書人2021年9月17日号善のはかなさ ブルガリアにおけるユダヤ人救出著 者:ツヴェタン・トドロフ(編)出版社:新評論ISBN13:978-4-7948-1180-6 本書は、ブルガリア出身でフランス在住の著名な人文学者ツヴェタン・トドロフによる著書であり資料集である。トドロフの出身地ブルガリアでは、戦前からのドイツとの強い関係性から第二次世界大戦中に日独伊三国同盟に加わったことで、ナチス政権からブルガリア国内のユダヤ人を強制収容所へ送ることを要求されるが、それを巧妙に拒否した。ナチス・ドイツが占領し傀儡化した地域および同盟国ではことごとくユダヤ人が逮捕され収容所へ送られた中で、民間の個人や団体がユダヤ人を保護したという事例は数多くあっても、国家の政権としてユダヤ人の収容所移送を拒否した唯一の例外であった(トドロフも触れているデンマークのユダヤ人救出の成功談も有名だが、これも民間のレジスタンス活動であり、ブルガリアの事例とは異なる)。本書はなぜそのような「善」がブルガリアでは奇跡的にかろうじて実現したのかを、冷戦後に公開された資料なども元にして解明しようとしたものである。 本書は、歴史的資料が四分の三を占めトドロフ自身の分析(その章題「善のはかなさ」がそのまま書名となっている)は冒頭の四分の一程度であり、史料そのものに語らしめようとしている点で際立っている。これは、稀有で例外的な「善」がなされた重層的な背景や複合的な過程を、多声的史料の提示によって描き出そうということだろう。本書があえてトドロフ「編」となっているのはそのためだ。 その「善」がなぜ、いかに可能だったのか。トドロフが史料から描くことを、ブルガリアという地域の歴史的特殊性と、当時の関係者による個々の動きの相互作用の、大きく二層に分けて見ることができる。 まず前者は、ブルガリアの言わば「多民族・小国主義」だ。ブルガリア人は、一五世紀から一九世紀にわたるオスマン帝国支配の下で、ユダヤ人のみならず、ギリシャ人、アルメニア人、セルビア人、ロマなどの少数民族と共存してきた。またオスマン領からの解放と独立も露土戦争の結果ロシアによってもたらされたものであり、自らの武力で獲得したものではなかった。そのためブルガリアには、強力な国民的自尊心が薄く、むしろ「弱さ」をこそ特徴とした。主に都市部で他のブルガリア人の中に分散して共存してきたユダヤ人に対しては、排外主義が作用しなかったのだ。 後者については、一九四〇年から四三年にかけての国王ボリス三世、与党代議士たち、野党代議士たち、正教会の主教たち、ユダヤ人団体、弁護士・作家・ジャーナリストたち、それぞれの動きが、相互に影響を与えたことで、結果的にブルガリア国内のユダヤ人の移送を阻むことになった点だ。これは、後世の歴史家(トドロフ)から見て初めて全体像がつかめたに過ぎず、当時は誰も役割分担を意識していたわけではない。しかもブルガリアが日独伊の枢軸側(とりわけドイツとの同盟関係)に立ち、国王および首相も含む与党代議士の過半がナチス・ドイツからのユダヤ人移送要求に同調さえしていた中でのことだ。 そこで大きな役割を果たしたのは、与党代議士で国会副議長だったペシェフの働きだ。ペシェフは、地元の町のユダヤ人逮捕に抗議する市民の代表団に押されて、議会内で合法的にユダヤ人移送反対の活動を展開し、一定数の与党代議士の賛同を集約することで首相に最大限の揺さぶりをかけた。駆け引きの結果、副議長職を罷免されるが、ユダヤ人の収容所移送を放棄させることに成功した。国王は、ドイツの顔色をうかがいながらも、英米(連合国)との関係も気にする、小国ならではのバランス感覚で国益を守ろうとしていたため、この移送反対の議会の動きと、それを支えた宗教団体・市民・知識人らの声に配慮せざるをえなかったのだ。国王は、移送を求めてくるナチスに対して、「ユダヤ人を国内の労務につかせるために都市から地方へと追放する」という妥協案で切り抜けた。ブルガリア国内のユダヤ人は一人として強制収容所に送られることなく、終戦を迎えることができた。 トドロフは、最高決定権者としての国王ではなく、世論をつないで議会を動かしそして風見鶏の国王を動かしたペシェフの人道主義に重きを置くも(本書の資料編で他の全ての資料が一〇頁に満たない中、ペシェフの回想録にだけは五〇頁以上を割いている)、英雄史観を拒否する。すべてのアクターたちがあるタイミングでそれぞれの役割を果たした結果、相互に影響し合うことでユダヤ人が救われた。その一つでも欠けていたらこの「善」は成しえなかったという点で、「はかない」のだ。 三つほど論点を加えたい。第一は、本書でも痛ましく触れられているように、実はブルガリアは、ナチス・ドイツに与えてもらい「保護領」(占領地)としたマケドニア地方とギリシャの西トラキア地方のユダヤ人については「国民」ではないとして、ナチスの移送要求に応じ、一万一千人以上を強制収容所に送り、ほぼ絶滅させている。たしかにブルガリア「国民」であるユダヤ人は救ったが、しかし「国籍の有無」でその運命を分断したことは、一方に対する「善」を吹き飛ばすほどにあまりに過酷な「悪」である。 第二に、上記の保護領のユダヤ人について、パレスチナに送ることで救済できないかという検討が、スイス大使とブルガリア首相との間で議論されており、また実際この時期に東欧各地からパレスチナへと移民・難民船が出ているが、もちろんこれは別のかたちの入植型植民地主義であり、ユダヤ人迫害をしながらヨーロッパ・ユダヤ人をパレスチナ・アラブ人より優位なものとした二重のレイシズムでもある。この点にトドロフの論及はない。 第三に、ブルガリアはドイツとの関係で枢軸側に加わったが、日本の同盟国でもあった。日本語で読むことができるようになったこの稀有な書物を通して、二次大戦下でブルガリアの成した「善」と「悪」から当事者として学ぶべきものは極めて大きい、ということを痛感した。(小野潮訳)(はやお・たかのり=東京経済大学教授・ディアスポラ研究・移民・難民問題)★ツヴェタン・トドロフ(一九三九―二〇一七)=ブルガリア出身のフランスの文芸理論家・思想史家。著書に『屈服しない人々』『民主主義の内なる敵』など。