――網羅的かつ資料性の高い決定版の評伝――高崎俊夫 / 編集者・映画批評家週刊読書人2020年9月18日号クエンティン・タランティーノ 映画に魂を売った男著 者:イアン・ネイサン出版社:フィルムアート社ISBN13:978-4-8459-1918-5 クエンティン・タランティーノに関するもっとも網羅的かつ資料性の高い決定版の評伝といえるだろう。このルーカス、スピルバーグのような由緒正しい大学の映画学部世代に続いて出現したビデオ店世代のチャンピオンともいうべきタランティーノには伝説と化したさまざまな逸話がある。 たとえば『トップ・ガン』を借りに来た客に、代わりにゴダールを見るように巧みに説得したというエピソードなどは大いに笑える。しかし、数万本という膨大なビデオをむさぼるように濫視し続けることで自己形成を遂げた映画オタクという、ある種のチープでいかがわしいタランティーノのイメージが『レザボア・ドッグス』公開当時から、誇大に喧伝され、日本でもあまねく共有されていたことは確かである。 私自身も公開されるタランティーノ作品を楽しんではいたものの、オマージュをささげた元ネタの映画を指摘して、悦に入る類いの批評ばかりが悪目立ちしている傾向には感心しなかった。タランティーノ作品は、彼自身の膨大な映画的記憶を糧にした単なる〝引用の織物〟にすぎないのではないかという批判もそれなりに説得力は感じられた。実際、本書でもタランティーノが参照、引用した膨大な作品が逐一、作品ごとに列挙されており、その出鱈目なまでの映画的教養には呆れるほかない。 私自身の評価が一変したのは『イングロリアス・バスターズ』(二〇〇九)を見た時だった。ナチス占領下のフランスを舞台にしたこの戦争映画では、ナチスに家族を虐殺された少女メラニー・ロランが館主を務める映画館でヒットラーとゲッペルスを焼殺させるという大胆きわまりない歴史の改変を行っている。メラニー・ロランが喫茶店で坐っているシーンに、突然、「荒野の1ドル銀貨」のメランコリックな旋律が流れてくる強烈な〝異化効果〟は忘れ難いが、著者は彼女が頰を赤く染める場面に着目し、「赤く塗られたメイクアップにはネイティブ・アメリカンの出陣化粧を思わせるものがあるが、これは、タランティーノが第二次大戦とネイティブ・アメリカン大量虐殺をサブテキスト的にリンクさせたものだ」という指摘は正鵠を射ている。 さらに『ジャンゴ繫がれざる者』(二〇一二)では、セルジオ・コルブッチのマカロニ・ウェスタンへのオマージュという体裁をとりつつも、出来上がった作品は黒人奴隷を主人公にしてアメリカ映画史を覆い尽くす人種差別の深層に鋭くメスを入れる異形なものだった。なにしろ、後半、残虐な白人に扮したタランティーノ自身が盛大に爆死するシーンまであるのだから。 最新作『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』(二〇一九)を見て驚いた。一九六九年に全米を震撼させたチャールズ・マンソンによるシャロン・テート惨殺事件をモチーフにしながらも、実に感動的な〝歴史の書き換え〟を行っているからである。タランティーノは、映画に憑りつかれたアンファン・テリブルから、もはや映画史のみならず、アメリカの現代史、そのありうべき時代精神までをもフィルムに刻み込める映画作家へと変貌を遂げていたのだ。本書は、そんな稀有な才能の軌跡を丹念にたどった力作である。(吉田俊太郎訳)(たかさき・としお=編集者・映画批評家)★イアン・ネイサン=イギリスで広く知られる映画ライター。著書に『エイリアン・コンプリートブック』『スティーヴン・キング 映画&テレビコンプリートガイド』『ティム・バートン鬼才と呼ばれる映画監督の名作と奇妙な物語』『魔法への招待:『ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅』メイキング・ブック』など。