――戦術面には長じていたが、戦略面では…――清水多吉 / 立正大学名誉教授・社会思想史週刊読書人2020年6月19日号(3344号)戦車将軍グデーリアン 「電撃戦」を演出した男著 者:大木毅出版社:KADOKAWAISBN13:978-4-7710-3335-1第二次大戦のドイツ軍将軍グデーリアンといえば、「電撃戦」で有名な人物であった。その方法は、これまでの戦車軍団を歩兵軍団の補助手段としてしか考えていなかった軍事組織を、戦車軍団を主導役に据え、歩兵軍団のあらかたを装甲化して、戦車軍団に随伴させる組織化を行った。とすれば、装甲化されたこの軍団は、歩兵を先頭にした軍団より、はるかにその進行速度、その破壊力に著しいものがあったこととなる。 彼の創設したこの装甲化軍団が最もその成果を上げたのは、大戦の初期、ベルギーから北フランスにかけての戦場においてであった。特に北フランスに配備されていたフランス軍、それにイギリス遠征軍の約百万の軍を撃破しつつ、ダンケルクまであと一五キロの地点まで迫った。この間、わずか二週間ほどでしかなかった。そこで、有名な英・仏軍のダンケルク撤退作戦が展開されることになる。 本書によると、この北フランスでの「電撃戦」の成功がグデーリアンの作戦を有名なものにした。だが、その後の対ソ連戦の東部戦線では、ソ連軍の優秀な「T-34型戦車」と悪路に阻まれて、グデーリアン軍団は苦戦する。このソ連の優秀な戦車に対決しうるドイツ軍戦車は「VⅠ号-虎」ぐらいのものであったが、これとてもソ連領の悪路と悪天候に悩まされ、その成果をあげることができなかったそうである。それでもなお、グデーリアンの装甲軍団は善戦したらしい。 ちなみに付け加えると、ソ連軍のこの優秀な「T-34型戦車」のエンジンは、なんとドイツBМWのディーゼルエンジンを採用したものであった。このことが可能であったのは、あのワイマール期、独・ソ間の秘密条約によって、生産が禁じられていたドイツ戦車をソ連奥地で生産していたことによる。 ところで、本書はこのグデーリアン評価については、かなり手厳しい。彼は戦術面には長じていたが、戦略面ではまるでダメな人物であったという。だから、ヒトラーの戦略、戦局の動向については何一つ異議申し立てを行えず、まして、自軍のユダヤ人・東欧人虐待事実を知っていて、それを見て見ぬふりを通したような人物であった、という。 従来、グデーリアンはイギリスの戦略家「ヒット・エンド・ラン」のリデル・ハートの影響を受けていたという通説に対しても疑問を呈する。これは、戦後、ハートが敗将グデーリアンへのインタヴューに当って、ハート側から頼みこんでグデーリアン将軍の「回想録」にそう書かせたものであった、という。 今日、第二次大戦の戦史で、グデーリアン将軍の評価は、あの北フランス、あるいはソ連戦線での装甲軍団の運用とその成果に関して、今でも各国陸軍の研究対象とされているほど模範的なものであった。しかし、グデーリアン将軍の残した遺産は何であったのか。このような疑問を残して、本書は終る。優れた伝記というべきである。(しみず・たきち=立正大学名誉教授・社会思想史) ★おおき・たけし=現代史家。立教大学大学院博士後期課程単位取得退学。著書に『独ソ戦』『「砂漠の狐」ロンメル』『ドイツ軍事史』など。訳書に『戦車に注目せよ』『「砂漠の狐」回想録』など。一九六一年生。