長谷川克 / 進化生物学者週刊読書人2020年12月11日号進化38億年の偶然と必然著 者:長谷川政美出版社:国書刊行会ISBN13:978-4-336-07037-1 重厚なタイトルから予想できる通り、この本はちゃんと進化を調べている研究者によって書かれた本です。研究者がどれくらい仕事をしているかという指標の一つに論文被引用数というものがあるのですが、それで言うと二〇二〇年十一月現在、著者の被引用数は四万件近くあります。被引用数は一般的には馴染みのない指標だと思いますが、研究者にとっての戦闘力を示すものだと思ってもらえると分かりやすいと思います(ちなみにこの書評を書いている私自身は五百件ほどしかないので、はなから勝負になりません)。著者の研究者としての能力は、申し分ないといって良いと思います。 優秀な人によって書かれた本だと難解になるイメージがありますが、本書は一貫してわかりやすい言葉で綴られています。持って回った言い回しや凝った文学表現に悩まされることもありません。初めて聞くような分類群や分子式、系統樹などの難しげな表現は普通に登場しますが、用語も本文中に説明がありますし、図版も豊富なのでなんとかなると思います。ただ、三十八億年分の話題が四百ページの本文にふんだんに盛り込まれていますので、話題はスピーディーに移り変わります。著者にとって自明なことは割とすっと流されるので、生物学をかじったことがない読者には行間が読めず、論理についていけないところもあると思います。(特に後半部は)学問的、概念的な面白さについていけないと、振り落とされてしまうかもしれません。そういった意味で、本書は万人受けする本というよりかは、やや玄人向けの本だと言えます。少なくとも高校生物、欲をいえば一般教養レベルの生物学を知っているほうが理解しやすいと思います。 内容については進化学の歴史とチャールズ・ダーウィンの足跡を踏まえながら、エピジェネティクスやエボデボ、プレートテクトニクス、細胞内共生、全球凍結などの話題も扱っていて刺激的です。対象の生き物も、一般的には馴染みの薄い(けれども進化的には重要な)古細菌や粘菌のような生物から、人気の動物、例えばクジラやダチョウ、恐竜まで、バラエティに富んでいます。「進化」という言葉から、ある動物が例えば翼や角を獲得して洗練させていく過程とか、元は同種だった生物が二つの種に分かれていく過程とか、そういうことをイメージされる方が多いと思いますが、そういった話はあまり出てきません。むしろ、著者自身が分子系統学者なので、生物の系統がいつどこで分岐して一気に多様化するか、またそうした大局的なパターンからどのようなシナリオを読み取れるかといったアプローチが多いように見受けます。進化についての書籍は進化生態学者が書いたものが普及しているので目にする機会も多いと思いますが、同じ進化という現象でも分子系統学者の切り口は一味違うので、そういった意味での新鮮さも楽しめます(実際、生物の進化史を学ぶ上では必要不可欠なアプローチです)。 各トピックには引用文献もついているので、興味を持ったところを自分でさらに掘り下げていくこともできます。サクサク読んで分かったつもりになりたい、という方にはおそらく適していませんが、この機会にどっぷり進化の深みにハマって知的興奮の海に溺れたいという方にはおすすめの一冊です。(はせがわ・まさる=進化生物学者)★はせがわ・まさみ=統計数理研究所名誉教授・総合研究大学院大学名誉教授・分子系統学者。著書に『DNAに刻まれたヒトの歴史』など。一九四四年生。