――新聞小説という舞台に「小説家、織田作之助」を差し戻す試み――大原祐治 / 千葉大学教授・日本近現代文学週刊読書人2020年4月24日号(3337号)小説家、織田作之助著 者:斎藤理生出版社:大阪大学出版会ISBN13:978-4-87259-639-7坂口安吾は、織田作之助への追悼文「大阪の反逆」の中で興味深い挿話を一つ紹介している。その安吾の証言によれば、安吾と織田、それに太宰治と平野謙が参加した座談会を採録した速記原稿が手元に回ってきたとき、織田は「純一に、読者を面白がらせる」ために、言ってもいない文言を付け加え、わざわざ「自分がバカに見える」ように演出していた、という。安吾はこうした織田の舞台裏を垣間見せた上で、その「徹底した戯作者根性」を称えているのだが、本書『小説家、織田作之助』の中で著者が丹念に解明するのは、まさにこのような織田の「戯作者根性」の内実に他ならない。 まず「Ⅰ代表作を読む」では、代表作である『夫婦善哉』『世相』および「可能性の文学」を取り上げ、饒舌かつスピーディで反復の多いその語り口が、周到に作り込まれた演出であったことが検証される。著者の解説は、単に織田のテクストを分析的に読み込むのみならず、その中に描き込まれた同時代の状況、あるいは作品が発表された同時代における文学状況と突き合わせていく点に特徴がある。平易な書きぶりで説明されているが、それを支えているのが、織田のみならず同時代の文学者およびその作品全般に及ぶ著者の幅広い知見であることは言うまでもない。 「Ⅱ作之助の〈器用仕事〉」では、戦中から敗戦直後にかけての時期にも筆を折ることなくコンスタントに作品を発表し続けた織田の仕事ぶりに関する検証が展開される。「サンプリング」「リミックス」「オマージュ」をキーワードに説明される織田テクストの特質は、まずは自らの外部にある他者の言説を貪欲に飲み込んだ上で、自在に換骨奪胎しながら紡ぎ出していく態度にある。著者は、織田の蔵書を収めた大阪府立中之島図書館「織田文庫」の資料を活用しながら、織田が参照したであろう典拠資料と織田のテクストとを対照し、織田テクストを構成する要素を明確化しつつ、そこに施された仕掛けの数々をも明らかにしていく。とりわけ、織田が先行者としての太宰治の小説をいかに意識し、その方法を取り込みながらオマージュを捧げていたのか、ということをめぐる分析は、太宰研究から出発した著者の面目躍如たる部分であろう。また、著者によれば、織田は他者のテクストのみならず自身の旧作をも換骨奪胎の対象としていたが、それは単なる使い回しの類いではなく、明らかに織田独自の〈器用仕事(ブリコラージユ)〉なのだという。この視点は、織田文学を考える上では極めて重要なものだろう。 「Ⅲ新聞小説での試み」に収められているのは、織田が戦中戦後に手がけた五つの新聞小説に関する考察である。新聞社に勤めた経験がある織田は、新聞というメディアの特性、そしてその紙面の中に文学テクストがいかに配置され読まれるのかということに関してすぐれて自覚的だった、と著者は言う。「大阪新聞」や「京都日日新聞」「大阪日日新聞」といった当時のローカル紙を丹念に実見する作業に裏付けられているからこそ、織田のテクストと紙面の中の諸言説との交錯/交響を確認していく著者の言葉には強い説得力がある。さらに、著者は新聞掲載の初出本文と、その後の刊本に収められた本文との対照作業も怠らないが、こうした作業から浮かび上がるのもまた、「戯作者」織田の飽くなきサービス精神のありようである。 しかし、著者は単に織田に賞賛を送り続けるわけではない。織田の「戯作者」性はしばしば大阪や京都といったローカリティに根ざしたものであり、そうだからこそ絶筆になった『土曜夫人』(『読売新聞』連載)のように、発表の舞台が東京/中央になったときには、ある種の上滑りが起こってしまう。作中に土地の名前や店の名前を持ちこんでも、それが紙面の中の報道記事や広告、投書などと連動性を持ち難くなってしまうのである。 評者にとってとりわけ興味深かったのは、織田の「新聞小説家」としての可能性と限界に関する分析であった。しばしば「無頼派」といった言葉で一括りにされてきた太宰治や坂口安吾らとは違う織田の特異性はおそらくこの点にこそある。もし、もっと長生きをしたとしたら織田はどのような位置でどのような作品を書き継ぐ小説家になっていったのか。著者は最後に「中間小説」という語を提示しながら、その可能性について示唆している。その意味で本書はひとり織田作之助だけを論ずるのではなく、石坂洋次郎、大佛次郎、獅子文六などが活躍した、敗戦後における新聞小説という舞台に「小説家、織田作之助」を差し戻す試みでもある。(おおはら・ゆうじ=千葉大学教授・日本近現代文学) ★さいとう・まさお=大阪大学大学院文学研究科准教授・日本近現代文学。著書に『新世紀 太宰治』(共編著)『太宰治の小説の〈笑い〉』など。一九七五年生。