――「催事」に依存した美術館運営――アライ=ヒロユキ / 美術・文化社会批評週刊読書人2020年7月3日号(3346号)美術展の不都合な真実著 者:古賀太出版社:新潮社ISBN13:978-4-10-610861-7「不都合な真実」という題名はややミスリーディングを誘う。スキャンダルや隠された真実の暴露でないからだ。一般の人にはさほどセンセーショナルでないかもしれないが、美術業界にとって「話題にしたくないもの」ではある。 本書で書かれている事柄は、美術における「催事」に関わる。「フェルメール展」や「バーンズ・コレクション展」のような集客の極めて大きい展覧会に焦点を当てるがゆえに、経済活動の比重が高い。美術界では、先の類の企画展は研究考察の深みと美術的着想の斬新さに乏しいとみなされる。また経済を論じることは品格に欠けるともされる。このふたつが重なる本書の領域はジャーナリズムや批評が避けてきたもので、業界の実情をはっきりと理解する上で重要と言える。 本書の著者は国際交流基金、朝日新聞と展覧会の企画業務に携わった経歴を持つ。美術館の学芸員のような学究的なキュレーションでなく、催事つまりイベント性の強い展覧会の交渉や調整業務だ。筆者はオークションの定点観測を仕事の柱のひとつとし、美術業界では経済事情にも精通する異色の立場だ。しかし展示交渉の詳細な手順や企画運営の実施費用は知る立場になかったので、興味深く読むことができた。 一般的な視点で言えば、世間を賑わせた著名な展覧会の裏話や金銭事情が事細かに記されているので興味深いだろう。ただ本書は体験の実録談に終始せず、ひとつの問題意識に貫かれている。それは日本の美術界のいびつさの指摘だ。 欧米の美術館の素晴らしさは、日本でまず目にすることのできない現役の最前線作家の個展の開催にあるが、厚みのある充実したコレクションによる常設展も抜かすことはできない。日本の美術館のコレクション事情の貧弱さはつとに指摘される。予算の額と弾力的な運用、継続性が重視される社会教育の点で行政の理解が足りないことに起因する。 その貧弱な現状を覆い隠すものとして、一過性のイベントの性格に特化した、看板作家の知名度に頼る美術展がある。欧米ではあり得ないマスコミ主催という形式は、専門家である学芸員の介在に欠ける点で内容を空疎なものとする。展覧会個々の点の入場者数では世界的な記録を誇るが、線で見た累計入場者数で見る影もないと統計で示される。要はイベントのためのハコでしかないのだ。本書の価値はそうした美術界の構造的な宿痾を数字と挿話の積み重ねで示すことにある。 ただ、現代は流動化と多様性の時代だ。美術展も基盤の確固とした組織/施設である美術館で開催されるものだけで捉えられない。ビエンナーレと呼ばれる定期開催美術展も、祝祭的な催事だけでなく、広範なリサーチや研究、教育発信の役割を強め、アートフェアもその性格をやや重複させ、機能を拡大しつつある。本書は包括的な提案でなく、限定された切り口からの提言と見るべきだろう。あと結論部分の論旨の混乱が少し気にかかった。(アライ=ヒロユキ=美術・文化社会批評) ★こが・ふとし=日本大学芸術学部教授・映画史・映像/アート・ビジネス。国際交流基金で日本美術の海外展開、朝日新聞社で展覧会企画に携わる。共著に『戦時下の映画 日本・東アジア・ドイツ』『日本戦前映画論集 映画理論の再発見』など。一九六一年生。