――二万人の相談に乗ってきた著者が語る希死念慮から逃れる術――土佐有明 / ライター週刊読書人2020年9月11日号苦しい時は電話して著 者:坂口恭平出版社:講談社ISBN13:978-4-06-520776-5 建築家、音楽家、小説家、画家など多様な顔を持ち、新政府総理大臣を名乗る希代のアーティスト、坂口恭平。彼は十年前、自殺者ゼロという政策を打ち出し、具体的なアクションに打って出た。死にたい人の駆け込み寺として「いのちの電話」ならぬ「いのっちの電話」というホットラインを開設。自身の携帯番号(090―8106―4666)を公開し、この十年で約二万人の相談に乗ってきた。『苦しい時は電話して』は、自身が躁うつ病である坂口がどんな悩みを聞き、どう対処してきたかを示し、希死念慮から逃れる術を認めた本である。 坂口は、電話の向こうの誰かに一方的に解決案を押し付けることはしない。彼はまず「何か好きなことある?」と尋ねる。すると音楽や映画など、誰しもひとつはあるという。ならばデモテープであれ自主映画であれ、何かを作ってみることを勧める。これはいわゆる「作業療法」であり、作業中は余計な悩みからしばし解放される。単純作業に没頭すれば、心中は多少なりとも穏やかになるだろう。 正直、そこまで能動的になるのは鬱状態の人には辛いと思うが、それでも処方箋はある。例えば、ジャズ喫茶がやりたかったという男性に坂口は、店の企画書だけでも考えてみよう、と言う。敷地を選び、図面を考え、店の内装や初期費用を調べる。実行するまではいかなくても、これはこれで趣味の域を超えている。 この企画書を書く=アウトプットするということこそ重要だと坂口は言う。心身が不調を訴えるのは外からの情報を取り込みすぎて、満腹になっているから。つまりバランスが取れていない状態である。だからこそ深刻に考えず、さっさと、手っ取り早く、アウトプットをすべきだと言う。 そんな坂口のもう一冊の新刊が、『自分の薬をつくる』。建築士の免許を持たずに建築家を名乗る彼が、医者になりきって相談者(=患者)の話を聞くというものだ。要するにやっていることは「いのっちの電話」と同じなのだが、こちらはワークショップ形式。多目的ホールにホワイトボードで仮の仕切りを作り、その先を診療室として相談を受ける。 持ち込まれる相談は、意外にも似たり寄ったりだ。心理学の本を読んで「これって自分のことだ」と余計に悩む。ネットのまとめサイトで自分の悪いところを探してしまう。なんとなく自分が他人から嫌われている気がする。坂口に言わせれば、悩みの根っ子は同じ。「自分は人と比べて劣っている」という過度な自己否定に集約される。診察室から筒抜けの悩みの数々は、来院した相談者ほぼ全員に当てはまることで、「なーんだ、私だけじゃなかったんだ」と皆は胸を撫でおろす。坂口の軽妙で機知に富む語り口も手伝って、診察の待合室からは笑いが起こる。こんな病院や診察所があったら行きたいという人はたくさんいるだろう。いや、実際、切実に求められているのだ、こうした場所こそが。 悩みの根っこが同じというのは、これまで二万人からの相談を聞き続けてきた「いのっちの電話」でも同様だと坂口は言う。会社での人間関係が苦手、将来の進路が定まらない、人に好かれたい、といった悩みの根幹はすべて、自分で自分を否定していることだ、と。 坂口は、悩みに個性がなさすぎる、とまで言う。評者の友人で歌人の枡野浩一の〈かなしみは だれのものでも ありがちで ありふれていて おもしろくない〉という短歌がそれを裏書きしているようだ。それでも自分の生きている意味を問い続け懊悩する相談者に坂口は、「それだけ考え続けられるのは完全に哲学者じゃないか!」と称賛し、発破をかける。 ちなみに厚生労働者が運営する「いのちの電話」は電話しても出る確率は七%で、対応も事務的だと聞く。自殺者ゼロを目指す坂口は、『苦しい時は電話して』の帯に携帯の番号を記載。電話に出られない時でも着信があれば必ず折り返している。彼の試みをラジオで知った厚労省のスタッフは、つい先日坂口とコンタクトを取った。ここから何らかの波紋が広がることを期待せずにはいられない。(とさ・ありあけ=ライター)★さかぐち・きょうへい=建築家・作家・絵描き・歌い手。福島第一原子力発電所事故後の政府の対応に疑問を抱き、自ら新政府初代内閣総理大臣を名乗り、新政府を樹立した。躁鬱病であることを公言し、現在は熊本を拠点に活動。著書に『0円ハウス』『幻年時代』(熊日出版文化賞)『徘徊タクシー』『家族の哲学』(熊日文学賞)『家の中で迷子』『建設現場』『cook』など。一九七八年生。