――連作「睡蓮」と「大装飾画」までの道のり――月本寿彦 / 茅ヶ崎市美術館学芸員週刊読書人2020年7月17日号(3348号)図説 モネ「睡蓮」の世界著 者:安井裕雄出版社:創元社ISBN13:978-4-422-71019-8筆者の前職である山形美術館では、吉野石膏株式会社が寄託した、良質な印象派絵画を含む「吉野石膏コレクション」が常設展示されている。そこにはモネの《睡蓮》(一九〇六)があり、展示されている期間なら、その気になれば、毎日のように作品を眺めることができた。今思えば贅沢な日常を過ごしていたものだと思う。 国内の美術館では、所蔵品または借用品、さらに大規模な海外美術館展などで、モネの連作のひとつである「睡蓮」を見る機会が少なくない。かつてならそんな折り、一九〇六年より前か後かを確認し、構図やタッチの共通性や違いなどに思いをはせていたが、本書のように系統立てて検証する、という発想がなかったのは、自らの至らなさと反省する次第である。 本書の帯には少し大きめの字でこう書かれている。「すべての『睡蓮』を集めた永久保存版資料。全三〇八作品、完全収録!」そう来られるとモネのファンとしては買わないわけにはいかない気持ちにさせられるが、本書の特質はそこではない。モネがジヴェルニーに居を構え(一八八三年)、「水の庭」を着工し(一八九三年)、日本風の太鼓橋を架けた一八九五年から、本書におけるモネの人生をスタートさせている点にある。様々なエピソードに彩られた、前半の人生にはほとんど触れていない。その観点は見事なまでに潔い。「睡蓮」に代表される「水の庭」の連作がどのような意味を持つのか、モネの日常や個性的な性格にも焦点を当てつつ、人生の最終目標と言って過言ではない、オランジュリー美術館の「大装飾画」の完成に向けて制作に邁進する様子を一気に活写している。「近代絵画の父」と呼ばれるセザンヌは、モネを「モネはひとつの眼にすぎない。しかし何という眼だろう!」と感嘆を込めて評したが、偉大な画家である前に、一人の中年にすぎない男が、老年、あるいは死に至るまでに降り注ぐであろう、家族との死別や、スランプ、病気など様々な試練に耐えながら理想を追求する姿も描かれ、思わず「何という男だ」と口をつく。 モネは語る。「作品の豊かさは、わたしの霊感である自然のたまものである。おそらくその独自性は、極端に鋭い感受性と、網膜に記録された印象をスクリーンに映し出すようにすばやくカンヴァスに映し変える技術の結果」と。一九二六年に八十六歳で亡くなったモネの最晩年期、すでにモネは時代遅れの大御所としてあまり顧みられない存在だった。ところが第二次世界大戦後、アメリカの前衛芸術である抽象表現主義絵画の価値を確立しようとしたニューヨーク近代美術館は、モネの「睡蓮」をモダニズムの流れに位置づけ再評価を行った。安井氏はそのことに対し、「モネの『睡蓮』は長くその『装飾』としての側面が評価されなかった。画家の意図を尊重しつつ、再度『大装飾画』を評価すべき時である」と述べている。筆者もまた、全身を眼のようにして自然の美しさを映し取ることに集中し、自然との一体、いわば「梵我一如」の精神で生み出されたモネの芸術は、あたかも自然の息吹そのものを内包しているように見え、汲めども尽きぬ創作の源泉があるように思える。 このコロナ禍が終息し、何の不安もなく海外渡航ができるようになった暁には、真っ先にパリのオランジュリー美術館、ジヴェルニーにあるモネの庭を訪問しよう。(つきもと・としひこ=茅ヶ崎市美術館学芸員) ★やすい・ひろお=三菱一号館美術館上席学芸員・フランス近代美術。「ルドン 秘密の花園」(監修・二〇一八)で第一三回西洋美術振興財団賞「学術賞」を受賞。一九六九年生。