――禁煙が奪った時間や文化を知る――岡崎武志 / 書評家週刊読書人2020年6月26日号(3345号)タバコ天国 素晴らしき不健康ライフ著 者:矢崎泰久出版社:径書房ISBN13:978-4-7705-0231-5本年四月一日より、東京都では条例により、各施設や飲食店などが「原則屋内禁煙」となった。これまで喫煙室を設けたカフェなどでは可能だった一服も退けられた。いよいよ「嫌煙」「禁煙」の包囲網が狭められ、愛煙家は肩身の狭い人生が待つばかり。 筒井康隆は「最後の喫煙者」で、近未来に「健康ファシズムが暴走し、喫煙者が国家的弾圧を受ける」(新潮文庫カバー解説)事態をスラプスティック喜劇として描いた。これが一九八七年のこと。今ではちょっと笑えない。 本書はそんな受難の時代に、紫煙にまみれて自由に生きた著名人たちを称揚する。いわば喫煙者列伝で、帯には「嗚呼! 素晴らしき不健康ライフ」「今日も元気だ たばこがうまい♥」「TABACOは『自由』の証し」と反時代的惹句が並ぶ。気の弱い私など、大丈夫かと心配になる。 なにしろ著者は『話の特集』編集長と社主を三十年も務めた人だから、交遊範囲も幅広い。ここに登場する顔ぶれも、石原裕次郎、勝新太郎、高倉健、寺山修司、和田誠、筑紫哲也、若松孝二、安藤昇、太地喜和子、越路吹雪、浅川マキほか多士済々。もちろん筒井康隆も入っていて、なるほど煙草抜きの肖像写真は考えられない人ばかり。くわえタバコじゃないマレーネ・ディートリッヒ、チェ・ゲバラも、ちょっと考えられないでしょう。 煙草が「日本の場合は趣味嗜好による贅沢品であって、国がそれを専売し、喫煙者から収奪する」時代が確かにあった。「日本一のヘビースモーカー」物集高量は、幼少より喫煙を始め、一日四〇~六〇本を吸い続け、百六歳まで生きた。その最後、入院中にも喫煙を止めず、看護婦のスカートの中に手を入れるスケベ爺さんだった。「あっぱれ!」と、ここはあえて言わせてもらう。 「煙草に火をつける。スッと上がるケムリの中に、時おり現れる人がいる」と紹介される一人が小沢昭一。著者の見るところ、小沢の喫煙には「芸人としての間」があった。語りが止まらなくなると「口にくわえ火をつける。わずかの間がそこに生まれる」。吸って吐く時に再び間が。「芸達者にだけわかる、いわば阿吽の呼吸そのものである」と言う。 たしかに喫煙者が減少し、会話中の沈黙はあっても「間」は消滅した。町角で他人と煙草の火の貸し借りで人は接近する。刑事は聞き込みの時「まあ、一本」と差し出し、重要な情報を得ることもあった。禁煙が奪った時間、あるいは文化があると本書で知る。 写真家の立木義浩は「くわえ煙草がとてもよく似合った。簡単に恰好がいいでは済まされない、魅力的な吸い方をしていた」。それでいてマナーを守り、灰を散らかしたり、吸い殻のポイ捨てをしなかった。つまり「ダンディ」で、口元から煙草が消えると、この言葉も消えたのである。受動喫煙の害など、嫌煙派からの反論は当然あるだろう。しかし、嗜好としての喫煙を全面否定するのは息苦しい世の中になったと思わざるをえない。(おかざき・たけし=書評家) ★やざき・やすひさ=編集者・フリージャーナリスト。一九三三年生。