――「立場主義の呪縛」、欺瞞や隠蔽から抜け出す――深尾葉子 / 大阪大学教授・社会生態学・中国地域研究週刊読書人2021年6月11日号生きるための日本史 あなたを苦しめる〈立場〉主義の正体著 者:安冨歩出版社:青灯社ISBN13:978-4-86228-115-9 本書を手にとった人は、まずは度肝を抜かれるだろう。「日本史」と書いてあるので、何か日本の歴史を紐解くことによって、そこに築き上げられてきた「立場」の歴史が明らかにされるのかと思いきや、のっけから展開されるのはラッセルのパラドックス、そしてその弟子のヴィトゲンシュタイン、さらに、非線形物理学者であり、カオスの実質的発見者である上田睆亮の「不規則遷移現象」が紹介される。いったいこれがなぜ立場主義の日本史なんだろう……と振り回される読者の戸惑いをよそに、さらに議論は著者自身が自らを表現する「合理的な神秘主義」とそれに対置される「神秘的な神秘主義」、そして経済学者があたかも合理的な科学主義であるかのように語る「神秘的な合理主義」、さらには「オカルト」へと展開する。ここで用いられる「オカルト」とは、本来語りえぬものをあたかも論理的に説明がつくかのように、独自の言語を編み出して語ること、であり、経済学者の語る価格決定論もこの「オカルト」の一種であると断罪する。 本書はそこから著者の初期の研究領域である「満洲国」研究へと話は進み、それに向かわせたバブル真っ盛りの中、著者が経験した銀行員時代の集団的狂奔の正体、そして東アジアを戦争の渦に巻き込んだ先の世界大戦への狂気へと進む。 このあたりでようやく読者は、これらの記述は著者自身が経てきた、自身を成り立たせてきた歴史の解明のプロセスであったということを知る。そして戦後の高度経済成長をつくりだし、さらにバブル経済とその後の長い不振と下降をもたらしてきた日本社会の構造的問題、政治経済構造が、まさにこの「立場主義」によって貫かれていたという本書の主張を知るのである。さらに高度経済成長を支えた立場主義によって守られた一部の老人やその配偶者たちに、年金、退職金、さまざまな資産という形で不均衡に財が集まり、そのシステムの受益者からはみ出した人たちやそのシステムの崩壊後に生まれた若い世代に適切な再配分がおこなわれないという現代のいびつな二重構造の中で広がったオレオレ詐欺の構造解明に及ぶ。それは、まさに「立場主義」の欺瞞性をあぶりだし、その虚をつくような手法で、心の通わない親子関係、親類関係を背景に、外的な体裁を整えることに熱を上げることで実行される詐欺である。オレオレ詐欺は、「非合法」の財の再配分ともいえ、崩壊しつつある「立場主義」の亡霊のようなものかもしれない。 では、本書の冒頭で展開された予測不可能な社会をめぐる議論、そして「論理」で語りつくそうとすることの不可能性から導かれた「合理的神秘主義」と立場主義はどうつながるのだろうか。「立場主義」は、自ら枠を定めたその「秩序」の中で、割り振られた「立場」をかたくなにまもり、「立場」を超えたいかなることにも無関心をつらぬき、「立場」を死守することに命を燃やし、情熱を燃やしてきた。そのいびつな時代精神は、背後に、「計算可能性」「予測可能性」「制御可能性」を無前提に信仰してきたことと密接不可分であると著者は考えている。神秘を神秘として受け入れ、生命が成り立つ奇跡に畏敬の念を持つことを忘れた浅はかな人類の思考と行動は、それ自身が生命系、生態系への破壊と蹂躙を導き、みずからの生命性や生きる神秘をも欺き、踏みにじる。3・11の福島第一原子力発電所の未曾有の過酷事故を眼前にしてもなお、あからさまな論理的破綻と欺瞞と隠蔽をやめることなく、糊塗と隠蔽と忘却によって責任を回避し、自らのつくりあげた「虚構」と「欺瞞」にしがみつく日本の言説の中から「立場主義」という言葉を編み出した著者が、まさに「生きるために」苦悩し、葛藤してきたプロセスをそのままに解き明かしたのが本書の構成である。副題に「あなたを苦しめる〈立場主義〉の正体」とあるがそれはとりもなおさず著者の「私を苦しめた立場主義の正体」を解き明かすプロセスそのものである。 自分の苦悩の淵源を探し求める探求をし続けてきたといってもよい著者は、一つのアプローチから次へのアプローチへと転換する際に、それまでよってたっていた自身をめぐる生態系をまるごと棄却する。満洲国研究から複雑系研究へ、複雑系研究から、魂の脱植民地化研究を含む一連の知的営為へ、そして馬と女性装に導かれた政治・言論活動へ……。そのたびに、職場、家庭、住居、家族を総入れ替えするといってもよいほどドラスティックに刷新してきた。実は、複雑系研究をやってみない?と声をかけたり、ハラスメントからの離脱のきっかけを作ったり、女性装や馬との出会いのきっかけをつくったり、評者自身もその変化のプロセスに少なからず関わり、きっかけを提供してきた。と同時にその学問的営為から多くを学んできた。そしてきっかけをつくると同時に、一〇年単位でほとんど連絡を断ったり、はたまた共同研究をし始めたり、といったモードチェンジが起きるのだが、今回も本書の執筆のきっかけとなった頃から、ほとんど音信を断つ状態へと移行している。ただこれは評者のみが経験しているわけではなく、研究仲間や家族構成や職場仲間が丸ごと入れ替わるその一部分にすぎない。まさに上田睆亮が明らかにした、予測不可能性、構造的不安定性と同居する実体的安定性を思いおこさせる非線形カオスの軌道をたどっているようにも見える。そしてそれが常に人をあっと驚かせるような言説や行動の展開の理由かもしれない。 冒頭に、ハイデガーの「存在と時間」から説き起こす本書は、生命の神秘、存在の奥底にある「自らの根本動性」に立ち戻りつつ、「自らの歴史を解体しながらそれと対決する」というプロセスそのものを記述したものであるといえよう。日本社会は本書の指摘する「立場主義の呪縛」から抜け出せるのだろうか。我々一人一人が、自らの存在の本質と向き合いながら、慣れ親しんだ欺瞞と隠蔽に別れを告げて生命を生きることが、求められている。(ふかお・ようこ=大阪大学教授・社会生態学・中国地域研究)★やすとみ・あゆみ=東京大学東洋文化研究所教授・経済学・東アジア史。著書に『原発危機と「東大話法」』『生きる技法』など。一九六三年生。