――黎明期に探究された新しいメディアの可能性――長谷正人 / 早稲田大学文学学術院教授・文化社会学・コミュニケーション論週刊読書人2021年3月5日号テレビドラマと戦後文学 芸術と大衆性のあいだ著 者:瀬崎圭二出版社:森話社ISBN13:978-4-86405-153-8 最初に本書を手にした時は随分と平凡な題名だと思ったし、実際に読んでも題名通りの内容だったのだが、にもかかわらず、読み終わった時には非凡な素晴らしい本だと考えを改めた。なるほど、そういう視点からのテレビ史も可能だったかといたく感心した。 本書は、一九六〇年前後のテレビ黎明期に、その新しいメディアの可能性を探究しようとテレビドラマ製作に関わった安部公房、寺山修司、遠藤周作、谷川俊太郎、城山三郎、椎名麟三といった文学者たちの脚本によるドラマの内容をアーカイブの映像や残された台本を通して丁寧に紹介し、さらに当時のテレビドラマ専門誌における批評や座談会、新聞の番組紹介や視聴者の投稿にまで目を通して、この時代のテレビドラマ文化とはどんなものだったのかを浮かび上がらせることに成功していてとても興味深い。 本書で取り上げられるドラマ作品は、これらの作家が関わった「芸術祭参加作品」が中心になる。当時のテレビは、まだ日常的文化として商業主義に完全には取り込まれていなかったため、テレビ局は社会的評価を得るために彼らを起用して、芸術祭向けに「戦争の記憶」や「労働者の現実」などを主題とした(非日常的な)社会派単発ドラマを意欲的に製作していたのだ。いや主題においてだけでない。安部公房らの「記録芸術の会」との関わりのなかで和田勉らディレクターたちも、テレビ独自の表現を生み出そうと模索していた。つまり、テレビは混沌とした状況のなかで芸術的な「表現」としての可能性を探っていた。 率直に言って評者は、これまで著者とは逆の視点から、六〇年代後半以降の日常的なテレビにこそこのメディアの本質はあると考え、そこに芸術表現とは異なったテレビ独自の面白さを見つけようとしてきた。だから局の看板として製作された芸術祭向けドラマがあった歴史的事実を知ってはいても、あまり関心を向けてこなかった。だが、そうした芸術志向の単発ドラマに関して、こうして正面から歴史的事実の厚みをもって記述されてみると(日常化された連続物などよりも資料は多く残されていることもあって)実に興味深い事実ばかりで驚いたし、強い魅惑も感じた。 例えば従来のテレビ史の常識では、この時代の芸術祭ドラマの代表として一九五八年に芸術祭賞を獲った「私は貝になりたい」が挙げられてきた。フランキー堺がBC級戦犯として死刑となる床屋を演じた橋本忍脚本の本ドラマは、社会的に大きな話題となったテレビ初期の名作として高く評価されてきた。しかし本書は、このドラマの特徴や同時代の評価を丁寧に記述しつつも、当時の批評や他の類似作をさらに細かく調べていくことによって、逆にその高評価を相対化させてしまう。例えば放映当時にすでに江藤文夫が、本ドラマは戦争被害者としてのみ主人公を描くことによって人びとの戦争責任を免罪化してしまう役割を果たしていると批判していたというのだ。 さらにこのドラマへの評価の高まりに抵抗するかのように、翌五九年の芸術祭向けに庶民自体の戦争責任を問うような鋭い意識を持ったドラマがいくつか製作されたそうだ。一つは、和田勉が安部公房と組んで作った、戦時中に脱走兵として帰ってきた子供を家に入れずに死に追いやったという事件を描いた「日本の日蝕」であり、もう一つは遠藤周作が書いた、戦地で自決した戦友の「生き残った者の平和は自分の慰めにはならない」という内面の声に苛まれて暮らす男を描いた「平和屋さん」である。こうした大衆性に阿ることのないドラマ作品を、「私は貝になりたい」に対置することによって、本書はテレビドラマの歴史を飛躍的に分厚いものにしてくれたと思う。 さらに個人的に注目した点もある。同じ五九年にレジナルド・ローズ原作で江上照彦が翻案した「ある町のある出来事」が放映されたあと、結論を作者がはっきり提示しないディスカッションドラマが数多く製作されるようになり、その中でも城山三郎の「汽車は夜9時に着く」という解雇された女工の自殺をめぐって関係者が責任をなすりつけあう傑作心理ドラマが作られたことが説明される。城山は視聴者をドラマに拘束することなく議論に参加させることを目指したそうだ。私はそれを読んで、山田太一の「男たちの旅路」(七六年)がディスカッションドラマだったことを思い出した。山田さんから、脚本家になりたての頃に江上氏に会いに行った話を伺ったことがあった。影響関係は明らかだ。本書は、七〇年代を考えるのにその時代だけ観察しても分からないという当然の事実を私に教えてくれた。(はせ・まさと=早稲田大学文学学術院教授・文化社会学・コミュニケーション論)★せざき・けいじ=同志社大学文学部教授・日本近現代文学・文化。著書に『流行と虚栄の生成消費文化を映す日本近代文学』『海辺の恋と日本人ひと夏の物語と近代』、編著に『谷川俊太郎 私のテレビドラマの世界 『あなたは誰でしょう』』など。一九七四年生。