文法に宿る豊かな彩と妙味を実感する 山岡憲史 / 元立命館大学教授・英語教育週刊読書人2022年1月21日号 英文法の正体 ネイティブの感覚で捉える著 者:濱田英人出版社:青灯社ISBN13:978-4-86228-117-3 評者は、四四年にわたって高等学校と大学で教えてきた英語教員である。英語教育とともに、文法・語法についても研究も行ってきた。しかし、日本語とは大きく異なる文構造、表現様式を取る英語という言語の文法をどのように教えるかについては、未だ暗中模索の状態である。 英語教師の多くは、英文法の説明をする際、「英語とはこのような文構造を取るものだから、理屈を言わずに理解せよ」と、力づくで覚えさせようとする。生徒たちも、「英語とはそういうもの」と妙に達観して、「どうして?」という疑問も持つことなく、淡々と規則を覚え込もうとする。その結果、「文法は難しい」「覚えることが多すぎて文法は大嫌い」という生徒が増えていくことになる。時には、日本語の語順で英語を書いたり話したりしようとし、I to school went.(私は学校へ行った)/I was stolen my bag.(私はカバンを盗まれた)のような英語を作ってしまう。『英文法の正体』は、そのような教師や学生に、英文法学習を包むモヤモヤした霧を晴らしてくれる好著である。著者は認知言語学の泰斗であるが、難しそうな学問的知見をきわめて平易な語り口で取り入れて、英文法の背後にある英語話者の世界の捉え方から、構造や意味を説明している。 本書によれば、「日本語話者は見えているままを表現し、英語話者は自分を含めて出来事全体を外から捉える」という。英語のネイティブスピーカーの頭の中では、主体が何かの行為をするという概念的鋳型が存在し、彼らはその中のスロットに語句を当てはめて話すという解説から、英語には必ず主語が必要である理由、世界の切り取り方が文型や構文の取り方や語の使い方に、どのように反映されるかの説明がなされている。さらに、ネイティブスピーカーは「表現する際に重要なことから先に言う」「英語では結果に重点が置かれる傾向がある」という指摘には、大いに頷けるものがある。例えば、日本語なら「1号館2階フロアの1203教室」というように、見えているモノから順にたどりながら話す。だが、英語ではRoom 1203 on the second floor of the Building 1となり、「すぐにそこに行きます」がI'll be right there.とbe動詞で表される理由も納得できる。 また、文法構造や語の持つ意味についても、わかりやすく説明がなされている。例えば、英語学習者の大きな関門である現在完了については、以下のように解説される。「現在完了(have[has]+過去分詞)で表された出来事は、何らかの点で現在の状況に関係があり、話し手がI haveと言った瞬間に聞き手は『今の話題と関係があること』として、これから話し手が話す内容を理解する」。will, may,canなどの法助動詞に現れる話者の心的態度や、冠詞aとtheの使い方、基本的な前置詞の持つ中核的意味やイメージについても詳しい説明が書かれている。機能的な語だけでなく、bigとlarge、littleとsmall、startとbeginなどの類義語に込められている心的な態度にまで言及されており、英語学習者にとっては興味が尽きない内容となっている。 認知文法と言っても、これまで日本人が学習してきた「学校文法」から逸脱した内容では全くない。その基礎の上に、実際のコミュニケーションにおいて欠かすことができない表現様式や語彙の選択にこそ話者の感覚や感情が宿っている、という本書の数々の視点を理解すると、無色で無味乾燥に思える英文法に、豊かな彩と妙味が加わっているのを感じられる。 最近話題になったもう一冊の英文法の本に『英文法の「なぜ」(1・2巻)』(朝尾幸次郎著 大修館書店)がある。こちらは英文法を英語の歴史から解き明かした書であり、『英文法の正体』とはアプローチが異なるが、両者に通底する事実も発見される。両者を並べ読むことによって、英文法の奥深さや楽しさがさらにわかってくるであろう。『英文法の正体』は英語を学習する人、文法を学びなおしたい人だけでなく、英語を教える人たちにもぜひ手に取って味わってほしい一冊である。(やまおか・けんじ=元立命館大学教授・英語教育)★はまだ・ひでと=札幌大学地域共創学群教授・認知言語学・英語学。著書に『認知と言語 日本語の世界・英語の世界』など。一九五七年生。