――重層的な歴史の見方を与える――新谷卓 / 立教大学・宇都宮共和大学兼任講師週刊読書人2021年10月1日号二つの世界大戦への道 ドイツと日本の軌跡から著 者:中井晶夫出版社:えにし書房ISBN13:978-4-908073-79-3 入門書を読むだけではわかりづらいこの時代の流れに、著者は、フィシャー論争など本書の範囲に関わる学問的な論争を解説したり、見解が分かれる点については、両論併記した上で、それに答えることによって、重層的な見方を読者に与えてくれる。 基本的にはドイツ中心の欧州外交史であるが、著者独自の視点も多い。例えば、第一次世界大戦において舞台裏でなされた各国の和平工作・講和工作の努力に重点を置いた点などはそうであろう。大国に挟まれた小国デンマークやスイスなどの実業家、王室、学者など、彼らが持つ様々なパイプを駆使しながらドイツやイギリスに働きがなされたことは、新しい切り口を開くものである。学者の和平工作では、日本ではほとんど知られていないドイツ生まれでスイスの市民権を持つオットー・ニッポルトの動きに着目する。彼は日本でも教鞭をとり、アイヌ民族にも会いに出かけたという国際法学者であるが、このような経歴を持つニッポルトは、スイス伝統の中立的な立場からドイツを客観的に認識し、ドイツのショーヴィニズムを批判し、汎ゲルマニストたちを非難した。大戦前には、マックス・ウェーバーなどに呼びかけて、アカデミックな性格を持った平和団体を結成、各国に和平を働きかけた。また、戦争末期に和平・講和工作に関わったドイツの政治家たち、特に中央党のエルツベルガーに関する記述も興味深い。本来戦争責任を問われるべき最高司令官ヒンデンブルクが戦後、大統領になり、エルツベルガーらが敗北や戦後の厳しい状況の責任を問われたことは、ヒトラー登場と関連して重要なところである。 以上の特徴と並んで、注目すべきことは、著者の体験が挿入されていることであろう。外交文書や数量化された統計的数値に依拠する戦争を知らない研究者と、実体験を根底においた歴史学者とでは、異なる歴史像が描かれよう。後者において死者の思いや戦争の責任論の問題が大きな意味を持つことが多い。その意味でときに、学術書としてはある種の感情やイデオロギーが先行することもあるが、著者はむしろこの体験によって、複雑で偶然的な生きた歴史像を描くことに成功している。 その著者の体験の一端にも触れておこう。著者の父中山蕃は、陸軍中将であり、相沢事件で暗殺された永田鉄山の親友である。まだ子供だった著者は、銀座のレストランで永田と出会っている。永田は、暗殺されなければ戦争を避けられたのではないかともされる人物であるが、このときノモンハンの直前の緊張状態にあったソ連国境のハイラルに赴くことが決まっていた著者の父とのやりとりは興味深い。また著者が、ヒトラーについて知ったのは小学校四年のときに開催されたベルリンオリンピックであった。「ヒトラー総裁立ち上がって、寺田選手に拍手を送っています」というラジオからの放送は著者の記憶に今でも鮮明に残っている。また大正天皇の実の母がなぜ「二位」なのか、疑問を抱いた中学生だった著者の思い出もその後に繫がるものだったのであろう。こうした時代体験こそが著者の問題意識の基盤を作り、学問を独立したものでなく、社会の方向やあるべきものを指し示すことができる生きた学問となって現れているのではなかろうか。 著者中井晶夫氏は、本書執筆時には九三歳、その数年前にドイツ語で『日本から見たプロイセン、スイス、ドイツ』(Iudicium,2014)を上梓しており、その研究欲は、実に驚嘆すべきことである。同時に、長く時代を見てきたということは、その間様々な例外的な事象を経験したり、長いスパンの因果関係に気づいたり、歴史の繰り返しを確認したり、我々には知りえない域から歴史を語っているということを知るべきであろう。(あらや・たかし=立教大学・宇都宮共和大学兼任講師)★なかい・あきお=上智大学名誉教授・西洋史。上智大学大学院西洋文化研究科修士課程修了。著書に『初期日本=スイス関係史』『ヒトラー時代の抵抗運動』『ドイツとスイス人の戦争と平和』など。一九二七年生。