――その軌跡を、それぞれの時代に焦点をあてて描く――高橋宏幸 / 桐朋学園芸術短期大学准教授・演劇評論家週刊読書人2020年7月3日号(3346号)佐藤信と「運動」の演劇 黒テントとともに歩んだ50年著 者:梅山いつき出版社:作品社ISBN13:978-4-86182-805-8類書のない本だ。黒テントの中心の一人であった佐藤信の軌跡を、それぞれの時代に焦点をあてて描く。作品論と掲げられているが、活動が始まる前までは評伝的に、途中は同時代の背景を散りばめた作品論としてあり、ときに黒テントの「運動」を含めて論じられる。そして最近の活動まで紹介される。 佐藤信については、ある時期まで戯曲が出版されて、同じく黒テントのイデオローグであった津野海太郎などが発刊した雑誌『同時代演劇』、黒テントの機関紙『評議会通信』など、佐藤個人に限らない集団としての言説は多様にあった。しかし、アンダーグラウンド演劇が退潮するのと同じくして、徐々に言説が下火になったことは否めない。むろん、その後の佐藤も黒テントで活動して、世田谷パブリックシアターや座・高円寺という公共劇場の芸術監督、そして現在も横浜の若葉町に小劇場をつくり、第一線で活躍している。少なくとも、世代は違っても演劇界では、必然的にその動向を耳にする。しかし、後続世代になればなるほど、その活動の輪郭が見えづらいのは仕方ないことかもしれない。彼、もしくはかつての黒テント自体が直截的な言及を嫌ったこともある。活動を単に宣伝するのではなく、それを理論化することが試みられたからだ。だから、黒テントの活動たる運動は、理論と並走した。 そのなかで本書は、見えづらくなった時期として、佐藤信から譲り受けた資料をもとに描かれた幼少期や青年期はもちろん、八〇年代の活動として、フィリピンのPETAと連携しようとした「アジア演劇」や「赤いキャバレー」と呼ばれた小規模公演など、『評議会通信』に報告されていることをまとめて、再びその活動を知らしめた。『評議会通信』が出版社を通じて広範に流布されていない以上、現在ではごく一部の図書館をのぞいて読むことは難しい。(『水牛通信』のように、Webでアーカイブ化を試みてほしいものである)。 また、黒テントを代表する七〇年代の「喜劇昭和の世界三部作」の頃では、テント公演を行政が保有する公園などの公有地で上演する(公有地闘争)について書かれる。沖縄での公有地使用をめぐる裁判闘争の結末があえてなのか書かれていないのと同様に、ときに作品論を補強するための同時代の説明として、丸山眞男やベ平連の市民主義的イメージが用いられるのは、当時の黒テントの「革命の演劇」と対極ではないかと首をかしげたくもなる。ただし、九〇年代以降の佐藤の活動の一つが公共劇場の芸術監督である以上、それを一貫性として論じるのが本書の見方だろう。 実際、かつて黒テントが唱えた、「革命」という言葉さえなくなれば、あとの民衆という言葉は、どのようにでも捉えられる。それは昨今のリベラルの隆盛と公共圏という口当たりのいい言説と接続することは容易い。ただ、「革命」だから「市民」ではなく「民衆」は、「運動の演劇」のもとに集まったのではないか。だから、革命と民衆を謳った、黒テントは華やかであったと信じたい。(たかはし・ひろゆき=桐朋学園芸術短期大学准教授・演劇評論家) ★うめやま・いつき=近畿大学准教授。早稲田大学大学院博士後期課程修了。東京学芸大学で佐藤信に師事。早稲田大学坪内逍遥博士記念演劇博物館で、現代演劇に関する企画展を手がける。著書に『アングラ演劇論』など。一九八一年生。