――パラリンピックの原点を知ろうとする試み――中村計 / ライター週刊読書人2020年5月29日号(3341号)アナザー1964 パラリンピック序章著 者:稲泉連出版社:小学館ISBN13:978-4-09-388740-3知らなかった。一九六四年、東京五輪の年に、すでにパラリンピックが開かれていたということを。そもそも「パラリンピック」という名称が大会名として初めて使われたのが一九六四年だったということも。 パラリンピックのルーツは、一九四八年にイギリスで始まったストーク・マンデビル競技大会にある。創始者はユダヤ人の医師で、「障害者スポーツの父」と呼ばれるグットマンだった。太平洋戦争が終わったばかりの頃、下半身不随の患者の生存率は二割ほどで、七、八年かけて一命を取り留めても隠れるように生活していたという。ところが、グットマンはわずか半年で下半身不随者を退院できるまでの体に治療し、そのうち八五パーセントの患者を社会復帰させた。グットマンが画期的だったのは、リハビリにスポーツを採用した点だった。その延長線上に障害者スポーツの競技大会があったわけだ。 「失われた機能を数えるな。残された機能で何ができるか考えなさい」 それがグットマンの口癖であり、今もリハビリ界における金言となっている。 そうした活動に刮目させられた日本の障害者に携わる人たちは東京五輪にもストーク・マンデビル競技大会を誘致しようと画策し、その承諾を得たが、そのときには本番はわずか一年後に迫っていた。そのため日本代表選手のほとんどが付け焼刃の技術しか備えていなかった。近藤秀夫は、ぶっつけ本番だった車いす競争やこん棒投げ等の四種目を含む全六種目にエントリーさせられた。卓球女子ダブルスで三位に入賞した笹原千代乃は〈しょうがなくパラリンピックに出たんです〉と話す。何でも八〇人以上もの入所待ちがいた箱根療養所へ優先的に入るための条件として半年後のパラリンピック出場を突きつけられ、嫌々応じたのだという。そして、卓球未経験者ながら、わずか数カ月の練習でメダリストになった。大会後は、〈あれ以来、卓球なんてしたことはありません〉とあっけらかんと語る。 魅力的な人物は、まだまだ登場する。障害者に対し「納税者になれ」と説き、障害者スポーツの普及と同時に障害者のための企業誘致を実現した国立別府病院の整形外科部長・中村裕。型破りな障害者だったが、障害者バスケと出会い人生を変えられた井田辰一。そして、影となり日向となり障害者スポーツを支え続けた美智子皇后。それぞれのストーリーが丁寧に織られ、メインストリートでは決して語られることのなかった「アナザー1964」が浮かび上がる。 正直なところ、パラリンピック関連の報道には食傷気味だった。ここ数年、日本では、パラリンピック関連の新聞記事、番組、あるいは書物で溢れ返っている。身も蓋もない言い方をすれば、スポンサーがつきやすいからだ。障害者スポーツは感動的な物語に仕立てやすい。そうした流れに無自覚に乗っかっている文章や番組を見るのが辛かった。だが同書はそうした発表物とは一線を画していた。著者は視線を過去へと向けた理由をこう書く。 〈二〇二〇年のパラリンピックをどのように見るのか。そのための確固たる視点が、今の自分の中にはない。(中略)「パラリンピックはどこから来たのか」という原点を知ろうとする試みが、そんな自分にとっては何事かを意味するのではないか、という漠然とした思いがあったからだ〉 物書きが対象を理解しようとするとき、その歴史を知ろうとすることは欠かすことのできない作業であり、マナーでもある。 著者の作品群、大宅壮一ノンフィクション賞を獲得した『ぼくもいくさに征くのだけれど 竹内浩三の詩と死』等を読めば明らかなように、著者は書き手として、うっかりわかったようなことを書いてしまうことにとても慎重だ。もっと言えば、ひどく恐れている。そんな極度の用心深さが、この作品を生んだのだとも言える。 タイトルに「パラリンピック序章」とあるように、この作品は、続きがあることをにおわせてもいる。同書を読んだ上で現在の障害者スポーツを思うと、隔世の感がある。牧歌的な雰囲気は消え失せ、義足を始めとする道具の著しい進化もあり競技によっては障害者の記録が健常者の記録を上回ることさえある。あれから五六年の時を経て、障害者もまた「超人」になった。もはやグットマンのリハビリの一環という思惑はとうの昔に飛び越え、はるか遠いところまできてしまった。 来夏に延期となった東京パラリンピックを観たとき、おそらく誰よりも確固たる〈視点〉を得た著者は何を感じ、どんな読み物をものするのか。同じノンフィクションの書き手として、それを恐れつつ、楽しみにしてもいる。(なかむら・けい=ライター) ★いないずみ・れん=ノンフィクション作家。著書に『復興の書店』『「本をつくる」という仕事』など。一九七九年生。