――多方面に一石を投じる良書――安高啓明 / 熊本大学大学院准教授・日本近世史・法制史週刊読書人2020年5月29日号(3341号)徳川日本の刑法と秩序著 者:代田清嗣出版社:名古屋大学出版会ISBN13:978-4-8158-0980-5法制史研究は、法学系と歴史学系により担われてきた。これまで両分野において多くの成果があげられてきたが、近年では、この二領域に架橋する研究も散見される。横断的に成果を享受し、さらに発展させるという段階に入っているのが、今日の法制史研究の潮流といえよう。本書にも、著者の出身学部である法学系に軸足を置きつつ、歴史学の成果も参酌しようとする姿勢が看取される。なお、評者は歴史学系であることを申し添えておく。 本書の出発点は、犯罪の成立要件とそれに対する処罰(実体刑法)に関する研究が少ない現状にある。中田薫以降、高柳真三、石井良助、平松義郎、石塚英夫らに系譜をひく西洋近代的な刑法を基準とした実体刑法の研究が蓄積されてきた中で、近世の支配原理で重要な「身分責任」に注目し、徳川幕府の刑法理論を再考する。そこで、①「不念」「怪我」の可罰的理由、②「共犯」の結果責任と認定される行為態様、③被害者との関係によって生じる刑事責任の変化から、徳川幕府刑法の固有の判例法理を検証する。 第一に刑事責任を「巧」「不斗」の有意犯と、「不念」「怪我」という無意犯との場合で生じる差異を分析する。これまで過失犯に相当するとされてきた「不念」は、不作為犯的性格が強く、注意義務と作為義務の性質をもち、行為者に対して所与の条件において適切な行為・意識の統御を要求するものであり、身分秩序の維持に包摂されていたという。また、「怪我」については意趣遺恨の有無が認定条件であり、ここには客観的事実が果たした役割が大きいと評価する。 第二に「共犯」について、「頭取」「同類」から正犯の決定方法を巡る判例法理に迫り、徳川幕府刑法における共犯類型を定義する。「頭取」は犯意の形成序列や実行に移した際、他者の先導などに重点が置かれていたこと。共犯関係が「頭取」なき「同類」のみで構成されるのは、相互に影響を及ぼし合う時であり、徳川刑法の共犯処罰は、共犯者同士の関係性と、そこで生じる影響力の差に起因すると言及する。第三に被害者の過失が刑事責任の認定に影響を与えたことに注目する。「立場責任」ともいうべき身分責任の立場から、その責任の所在が判断材料とされたことを明らかにする。ことに正当防衛に関しては、刑事政策的な意図はもとより、被害者の立場を重視したものであり、加害者の刑責を減ずるものではないと結論付ける。 身分制という幕藩体制の支配原理に幕府刑法を紐づける積極的論考は、歴史学系の研究者にも参考となる。一方で、法理に力点が置かれるが故に、評者が江戸期で重要と考える政治史かつ社会史的動向といった歴史学的検証が不足している。また、本書名「徳川日本」には藩が取り上げられないが、幕藩体制国家である「日本」を構成する存在であり、藩独自の法体系が構築されていたという法制史研究の成果に驥尾(きび)を付すと言及は不可避であろう。こうした課題を含みながらも、徳川幕府刑法を正面に据え、そこに身分論を射程にした研究視角、ここで得られた多くの知見を収める本書は、多方面に一石を投じる良書といえよう。(やすたか・ひろあき=熊本大学大学院准教授・日本近世史・法制史) ★しろた・せいし=名城大学法学部准教授・日本法制史。論文に「徳川幕府刑法における贈収賄罪」「徳川幕府刑法における共犯処罰」など。一九八九年生。