――ポストフェミニズムを生きる女性たちのリアリティを捉える――貴戸理恵 / 関西学院大学社会学部准教授・社会学・教育社会学週刊読書人2021年6月25日号ニッポンのおじさん著 者:鈴木涼美出版社:KADOKAWAISBN13:978-4-04-111144-4 フェミニストを自認する者として、鈴木涼美の書く物が好き、と言うのは勇気がいる。東大の院卒で日経新聞の記者を経て現在は作家、元AV女優。そんなプロフィールを持つ著者は、女性として性を売る快楽を語り、女性たちの舞台裏のずるさを書いてきた。それは性産業における搾取の構造を描き出そうとする営みにノイズを差し挟み、女性の主体性を評価する立場とも微妙にズレる、そして「弱者を救う」というスタンスとは真っ向から対立するものだった。 彼女の作品に対して、フェミニストの立場から階層や構造の視点がないとか、弱者を切り捨てているといった批判を向けることは容易である。もしかしたらセックスワーカーの権利擁護の立場から、当事者の主体性の評価が十分でないといった指摘もありうることだろう。これらの批判は当たっているが、有効には見えない。そうした批判をすべて織り込んだうえで、鈴木作品が書かれなければならなかった理由があると思うからだ。 その理由とは、「(ある種の女性にとって)フェミニズムは役に立たない(と思わされる瞬間がある)」ということではないか。フェミニズムはこの社会の女性差別的な構造を明らかにすることはできても、その構造を自分が生きてるうちに変えてくれるわけではない。目の前に広がる「終わりなき日常」をやり過ごす方法を教えてくれもしない。そうであれば、フェミニズムの知恵を吸収したうえで、構造が変わらないことについては達観し、日常をやり過ごすための幻想も含む心地よいあれこれを手元に集めておけばよい。本、映画、音楽、友人、恋人、旅行、そして「夜の街」――。 鈴木作品自体が、そうした「心地よいあれこれ」のひとつであるべく書かれているように見える。口では物わかりのいいことを言いながら家事やケアをろくに負担せずに夜中まで仕事をしている男たちと競争して、勝ち目などあるわけがない、とキレたくなるとき。セクハラじみた年長男性の発言をにこやかに受け流しながら、怒りとともに「ああ今私は男社会を女の側から強化している」という自己への失望を感じるとき。読みたい本は明らかに、フェミニズムの著作ではなく鈴木涼美である。そのときそこで必要なのは、世の中も自分も全然なっていない、けれども私はひとりではないしきっと明日も生きていけるくらいには強い、と思わせてくれる文章だからだ。鈴木作品は、こうしたポストフェミニズムの文脈を生きる女性たちのリアリティを捉えているかぎり、先のような批判をはねのけるだろう。『ニッポンのおじさん』は、そんなふうにジェンダー化されたみずからの生をいったんは受け入れた上で現実の矛盾と格闘しながら生きる女性たちに、ひと息つかせてくれる。政治家や芸能人、文学者など著名人を扱いながら、その向こうに身近な誰彼を想像させる「おじさん」としての普遍性を抽出していく筆致は軽快且つ鋭い。 女性を完璧な女神として表象したり、恋人が出世したら機嫌が悪くなるなど、現実の女性を素通りして幻想ばかり見ている「おじさん」がいる。一方にポリティカル・コレクトネスに疎くあっけらかんと性差別的な言動を取る過去の遺物のような「おじさん」がいれば、他方には一見リベラルに見えるが自分の身を切らずに済む範囲でのみ物わかりのいい上っ面だけの「おじさん」がいる。かと思えば、狭い世界で自己完結しようとする若い世代の卑小さを尻目に自由に越境する風来坊な「おじさん」もいる。描かれた彼らの姿を見ながら「いるよね、こういう人」と思い溜飲を下げ、次の日も「おじさん」の作った社会で生きる。鈴木涼美の本はおもしろいだけでなく使える。 だが批判もある。そうした態度は結局のところ、女性たちの許容範囲ギリギリまで溜まった現代社会=「おじさん社会」への不満をベントすることで、「おじさん社会」の延命に手を貸すのではないか? 実際に、この本を手に取り面白く読み、「まあそれが悲しい男の生態ってもんだよ」と1ミリも変わらないどころかこれまでの自身の振る舞いを反復強化する「おじさん」読者のすがたを想像することは容易だ。鈴木は「おじさんの女性蔑視の生態をそのまま利用していたギャル」を「舐め腐った態度と全てを逆手に取った生き様は紛れもないレジスタンス」と評価し、「どうしても啓蒙活動と抗議運動より、狂騒のレディキュールとクリティークで男社会を蹴っ飛ばしたくなる」と書く(12―13頁)。だが、男社会から利益を得ているように見える女性のあり方を評価することと女性運動的な問題関心は、二律背反なのだろうか? そのふたつを架橋することはできないのか? もし鈴木涼美がそれをやったら、フェミニズム関連本はこれまでかすりもしなかった新たな読者を獲得するだろう。ひとりのフェミニストとしてそれを待ちたい思いがする。(きど・りえ=関西学院大学社会学部准教授・社会学・教育社会学)★すずき・すずみ=文筆家。東京大学大学院学際情報学府修士課程修了。日本経済新聞社に記者として勤務した。著書に『「AV女優」の社会学 なぜ彼女たちは饒舌に自らを語るのか』『おじさんメモリアル』など。一九八三年生。